『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』 オススメ度8/10

スカイ・クロラ

 押井守監督最新作 映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」公式サイト

 友人に誘われて試写会行ってきた。事前の予想よりはずっとよかった。物語的には『紅のエヴァンゲリオン』あるいは『新世紀の豚』って感じで特にどうというところもないが、逆に欠点でもなく、その他のあらゆる要素がかなりレベル高くまとまっていた。押井守作品では一番好きかもしれない。(『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』はちょっと別格として)。

 ただ、音がとても効果的に使われているので劇場で見ないといまいちかも。公式サイト等を見て一目でまるっきり肌に合わないという人以外にはおすすめしてよさそうだ。ちなみに原作は読んでいないが、ちょっと調べた限りでは原作に忠実と思っていいと思う。8月2日公開予定。

おまけ

東方のキャラ設定の魅力は「さびしくない孤立が嫌いなオタクなんていません!」の一言に尽きる(後編)

東方文花帖 ~ Bohemian Archive in Japanese Red

「バカ殿と家老」

 同じ場所で暮らしている各勢力*1には、主従・師匠と徒弟・上司と部下・式神とその使用者といったわりと厳格な封建関係がある。*2血縁関係がほとんど存在せず友人関係もゆるく殺伐としている代わりに、キャラ間の継続的な人間関係を構築しているのはこの封建的関係である。

根拠地 トップ ナンバー2 その部下・弟子・式神
紅魔館 レミリア・スカーレット
フランドール・スカーレット
十六夜咲夜 紅美鈴
マヨヒガ 八雲紫 八雲藍
白玉楼 西行寺幽々子 魂魄妖夢
永遠亭 蓬莱山輝夜 八意永琳 鈴仙・優曇華院・イナバ
因幡てゐ
彼岸(?) 四季映姫・ヤマザナドゥ 小野塚小町
守矢の神社 八坂神奈子 洩矢諏訪子 東風谷早苗

 面白いのは月人勢力のナンバー2で、全体でもトップクラスの人気キャラと思われる八意永琳の設定に、「実は主である輝夜より強いのだが、常に彼女より下になるよう力をセーブしているらしい。」というのがあるところだ。

 これだけなら、単に八意永琳とキャラはそういう設定の持ち主だというだけの話かもしれないが、これを念頭に置いて各勢力のNo.2に注目して見ると、各勢力の人間関係の設定に規則性があるように見えてくる。

  • 吸血鬼勢力はトップの姉妹が子供*3だったり、少々気が触れてたりするので館の実務を仕切っているのはメイド長の十六夜咲夜。
  • 八雲家勢力トップの紫は1日12時間睡眠で冬は冬眠もする上に全体に面倒くさがりなので、普段は式神の藍に任せきり。
  • 幽霊勢力のトップ幽々子は脳天気な食いしんぼキャラ。庭師で警護役の妖夢は生真面目で純心な性格。
  • 月人勢力はトップの輝夜は不老不死の引きこもりニートで、本当は輝夜より強い永琳が補佐している。
  • 守矢の神様勢力は、古代の戦争に勝って諏訪子の土地を征服して形式的にトップに立ったのは神奈子。しかし古い信仰を消し去ることができなかったので、今でも実務として信仰を集めているのは諏訪子。

 「いざという時以外いまいち頼りないトップと、忠実で生真面目な性格のNo.2」、とでも要約できるパターンが、彼岸以外の全勢力にぴったり当てはまるように思われる。こうまで繰り返されるとさすがに偶然とも思えず、二次制作のギャグMADなどでも特によく見られる(ような気がする)構図であることから、作者が意識してやっているのかどうかわからないが、作者の嗜好のみに起因するものでもないように思える。

 「これはいったい何なんだろう?」としばらく考えた結果、どうも日本人が伝統的に微笑ましいものと見なしてきたある笑いの構図にしっくりきそうだと気がついた。すなわち古典落語から志村けんまでのバカ殿様とご家老という構図だ。幻想郷の設定がさびしくない限り積極的に孤立したいという欲求の反映であるのと同様、この構図も温情ある安定した封建体制に所属したいという欲求の反映であると考えるのは深読みしすぎだろうか。

「東方はシグルイなり」

シグルイ 3 (3) (チャンピオンREDコミックス)

 封建体制からの連想でいうと、結界の外部や勢力外部の人間に対しては皆割と無関心というか酷薄である。蓬莱山輝夜と藤原妹紅などは会う度に殺し合う仲*4だったり、八意永琳も月の使者を皆殺しにした過去があるらしいとか殺伐としたエピソードには事欠かない。

 そもそも妖怪連中は基本的に人食いであり、結界そのものの由来に関わる幻想郷の神レベルの妖怪:八雲紫もその例外ではなく、たまに外部の人間を神隠しにして食ってるとか。興味深い話だ。それがキャラの魅力を損なうものとは考えられていないことは明らかで、荒ぶる神の概念が生きている神道チックな世界観でなければ成り立たないだろう。

 ヒットした同人ゲーム繋がりでひぐらしと対比すると、ひぐらしはファッション和風で性根は洋風だったと思う。日本的な田舎を舞台としていても日本的封建的要素は「敵」であり、問題があったらフレンドとオープンにディスカッションして解決しよう。それでも駄目ならデモでも組織して政府に訴えようという実にアメリカンなメッセージ性を持つものだった。

 対して東方はファッション洋風で性根は和風と言えよう。確かにキャラデザインにも和装のものは多いが、むしろフランス人形みたいな洋装のものの方が多い。しかしその精神性は骨の髄まで、それこそまともに見つめると濃密さにむせそうになるほどの和風である。伊達に東方は名乗っていない。日本的な封建体制のグロテスクな側面を描ききってエンターテイメントにまで昇華することに成功したものとしては『シグルイ』がある(参考)が、ある意味それに匹敵するんじゃないかと思う。

「ゆっくりしていってね!!!」

 微妙に不細工な頭だけの東方キャラが何の脈絡もなく「ゆっくりしていってね!!!」を代表とする台詞を叫びつつ緩いことや酷いことを言ったりやったりする、その名も「ゆっくりしていってね」(通称ゆっくり)というネタが最近流行っている。これに関しても言えることが出てくる。

 よくできたゆっくりが時に殺人的な面白さになるのは、普段は華麗な衣装や楽曲にうまく隠されている(隠しておきたい)「緩さ・酷さの肯定」という東方のメッセージ性を、いきなり丸裸にして突きつけてくるものだからだろう。(一説によれば「脱衣」は最も原始的で純粋なギャグの形である。)

 そう考えれば、「ゆっくり」が他のネタ集団には全くと言っていいほど派生しない理由も納得がいく。「ボーカロイドでゆっくり」とか「アイマスでゆっくり」とかの派生ネタがすぐに大量に現れても不思議ではなさそうなのに、そうならないのは、元から「緩さ・酷さの肯定」というメッセージ性を隠していないものがそれをやってもあまり意味がないからだ。

まとめ

 こうして今回ちゃんと資料を読んでみてわかったのは、東方はキャラが1人を除いて全員可愛い女の子だとか、BGMが神だとかいう表面的な部分だけではなく、細かい設定まで現代日本人オタクの桃源郷となるべく実によく練られているということか。やはりヒットするものにはそれなりの理由があるのですな。

*1:概ねシューティングゲームとしての作品一本ごとのボスクラスのキャラに対応する。
*2:この原則に外れる主要キャラはおそらく、紅魔館に住んでいるがレミリアの配下ではなく友人とされているパチュリーのみ。
*3:500歳児(笑)。
*4:どっちも不老不死なので永遠に決着がつかない。

おまけ

東方のキャラ設定の魅力は「さびしくない孤立が嫌いなオタクなんていません!」の一言に尽きる(前編)

東方求聞史紀 ‾Perfect Memento in Strict Sense.

東方Projectのキャラクターと世界観の魅力(その1) - バレエイメージ研究所日誌

 タイトルは上のエントリにコメントした台詞だが、なにげなく言ったわりに結構本質を突いてるような気がしてきたのでもうちょっと敷衍してみたい。公式設定がどうかということより二次設定でどういう解釈が好まれているかの方に興味があるので、公式設定と二次設定の違いはあまり意識してない。

 また、私はニコニコ動画のMAD流行後だいぶ経ってから「アイマス・ボーカロイドと並ぶ三大部族の一角なのに面白さがわからないのはもったいない」という理由で勉強し始めたにわか中のにわかで、原作ゲームは一秒たりともプレイしていない。資料もWikipedia・はてなキーワードぐらいしか見てないし、それもちゃんと読んだのは今回が初めてなので、ひどく間違ってるところがあったら教えてほしい。

予習用資料

 まったく知らない人のためのもの。まったく知らない人はこのエントリ自体読まない気がするが、念の為。

「さびしくない孤立」

 まず全ての舞台である幻想郷が日本から「孤立」している。東北(?)の山奥に実在する空間だが結界で外界と隔離されている。しかし、この結界は常識と非常識を分ける結界で、外の世界(現実)で否定されたり消えつつある妖怪など様々な種族が世界中から集まってくるので「さびしくない」

 この描像は「日本は海外から隔絶しているが、いろんな文化を取り込んでかつ平和でいられるのでそれでよい。」という俗流文化論的自己認識*1と自己相似形になっていることは言うまでもない。

 冒頭のエントリでも指摘されているが、主人公の人間二人、博麗霊夢霧雨魔理沙は両方とも独りで「孤立」した暮らしを送っているが、博麗神社にはいろんなやつらが押しかけてくるし、魔理沙はいろんなところに自分から押しかけに行ってアイテム強奪したりするのでやはり「さびしくない」

 幻想郷全体に、いつともなしにフラッとやって来ていつともなしにフラッと帰るというゆるい友人関係が一般的というイメージがある。後述の地縁関係・封建関係と無縁の、ゆるくない友人関係というものは、上白沢慧音と藤原妹紅の間のそれぐらいしかないように見える。

 主人公だけではなく、「孤立」やそれに類するイメージの設定を持つキャラが非常に多い。しかもそのようなキャラに重要キャラが多く、人気も集まっているようだ。そもそも人間関係というものが設定されていなさそうな単発の妖怪・妖精は初めから除いているが、それらの中には特に人気の高いキャラはいないようである*2

キャラ 属性
博麗霊夢 神社で独り暮らし。人間(≒長命の他種族からの孤立)。誰に対しても特に優しくも厳しくもない。
霧雨魔理沙 独り暮らし。実家から勘当されてる。人間(≒長命の他種族からの孤立)。
パチュリー・ノーレッジ 図書館に引きこもり。
十六夜咲夜 人間(≒長命の他種族からの孤立)。
フランドール・スカーレット 館の地下に軟禁されてる。
アリス・マーガトロイド 独り暮らし。人形遣い(≒自分と人形しかいない≒自分しかいない)。
プリズムリバー三姉妹 四女と永別。
伊吹萃香 幻想郷でも外界でも消えつつある種族。幻想郷で一匹だけの鬼。
鈴仙・優曇華院・イナバ 幻想郷で一頭だけの月の兎。故郷の月からの逃亡。
八意永琳 不老不死(≒定命の者からの孤立)。故郷の月からの逃亡。
蓬莱山輝夜 引きこもり。不老不死(≒定命の者からの孤立)。故郷の月からの逃亡。
藤原妹紅 不老不死(≒定命の者からの孤立)。
森近霖之助 独り暮らし。

 血縁関係の設定も非常に少ない。名前があるキャラ同士の血縁関係は以下のものぐらいしかない。

キャラ 属性
吸血鬼姉妹 姉レミリアが少々気の触れた妹フランドールを館の地下に閉じこめている。
プリズムリバー三姉妹 四女が実在の姉達を元に生み出した霊。四女はすでに死別。
東風谷早苗と洩矢諏訪子 早苗は諏訪子の子孫だが、本人は知らない。
秋静葉と秋穣子 静葉が姉。穣子が妹。

 しかもこのうち、吸血鬼姉妹と騒霊三姉妹の血縁関係は「孤立」の要素を際だたせる役割を果たしているようであり、いわゆる普通の血縁関係にある秋姉妹のみが例外中の例外であるように見える。少年少女向けのエンターテイメントで親や親類が無視されるのは一般的傾向であるとはいえ、これだけ大勢のキャラがいることを考えれば、たったこれだけしかないのはやはり特徴的ではないかと思われる。

 これだけ徹底して「孤立」していても、やはり様々な理由で「さびしくない」。なんというか「緩い人間関係の肯定」とでもいうべき一貫したメッセージ性を感じる。これまでニコ動でいくつMADが流行っているのを見ていても、東方Projectが老若男女問わず日本のオタク界隈で絶大な人気を得ているということが、いまいち腑に落ちていなかったのだが、今回初めて真面目に資料を読んでみて何となくわかる気がしてきた。(後編に続く)

*1:個人的にはあまり正しくないと思っているが、今回はそこが本題ではないので追及しない。
*2:バカの子キャラが立ちまくっているチルノは例外

おまけ

 長く「BGMに定評のありすぎる同人シューティング」というぐらいの認識だったのだが、どうも改めなければならないようだ。

スティーヴン J.グールド『人間の測りまちがい』が文庫版になっている

人間の測りまちがい 下―差別の科学史 (3) (河出文庫 ク 8-2)

人間の測りまちがい 上―差別の科学史 (1) (河出文庫 ク 8-1)

 RUMさんのコメントで知りました。今までネット上ではほぼ入手不可で、図書館で借りるか古本屋で探すしか読む方法がなかったので、以前から復刊を願っていましたが、実現した形で非常に喜ばしいです。ぜひこの機会に読んで下さい。

おまけ

ガイア教の天使クジラ29

イルカと話す日

 前回に続き『イルカと話す日』を読み進めよう。今回はいよいよ我々がリリー博士から学ばなければならないことの核心に迫っていく。

 ここで現在、人間が論争しているクジラとイルカに関する二通りの考え方を比べてみたい。

 最初の考え方は十九世紀の生物学から生まれたものだが、これは脳の構造と脳のはたらきについて多くの発見がなされる前の考え方である。脳の重さや体重が測定され、体長が測られ、クジラ類(そして陸生の哺乳類)の脳の重さや体重、体長からさまざまな計算が行なわれる。(中略)特定の動物においては脳のサイズが大きくなるにつれ、単純に比例して体のサイズも大きくなることが明らかになった。

 しかし、このプロット作業には、妥当性の証明されていない単純な仮定が紛れ込んでいる。つまり大きな体は大きな脳を必要とするという仮定である。したがって、脳のサイズがそのままその生物の知性や思考力の大きさをあらわすわけではないのである。実際には、地球の進化の過程において、なぜ大きな脳を持つ、大きな体の生物が生き残り、なぜ大きな脳を持つ、小さな体の生物が生き残らなかったかという点が問われたことはなかった。現在、大きな脳を持つ、小さな体の生物は存在しない。

 このあたりだけ見ると、実にまともなことを言っているように聞こえる。「脳のサイズがそのままその生物の知性や思考力の大きさをあらわすわけではない」? うん、それはそうだ。現代でも通用する立派な考え方だ。たとえばネアンデルタール人の脳は現生人類よりもかなり大きかったことがわかっているが、ネアンデルタール人たちがみんなフォン・ノイマンより頭がよかったかというと、そういうわけでもなさそうである。

 ただし「大きな体は大きな脳を必要とするという仮定」は、結論から言うと正しかった。今日から振り返って見ると当たり前に思える。どんな動物でも脳の大部分は全身の維持管理という、言わば日常業務に使われているのだから。*1

 そんなことは別にこの時代にも予想のできないことではなかったはずであるが、リリー博士は「現在、大きな脳を持つ、小さな体の生物は存在しない。」ことがこの仮定を支持するとは考えなかった。おそらく「クジラの脳が大きいのは体が大きいからだ(駄洒落にあらず)」という結論になってしまうのは面白くなかったからだろう。これに代わってリリー博士が注目したのは“回転力”*2だった。

 二十世紀になってようやくわれわれは、脳の構造の、それも大型の脳の構造の、信じられないほどの精妙さと脆さとを理解するようになった。(中略)第二次世界大戦中、頭蓋に強度の回転力が加えられると、それが原因となって脳が損傷を受けることがわかった。(中略)これらの点を考察すれば、小型の身体と計量の頭蓋とに包まれた大型の脳は、大変傷つきやすく、重力と身体の動きから生まれる回転力とにさらされている地球上ではいずれ淘汰されてしまうということが明らかになる。(中略)イルカは泳ぐ場合も、泳ぐ方向を変えたり体の向きを変える場合も、動きが素早く、加速も速い。それに対して大型のクジラは動きが緩慢で悠々としている。(中略)クジラ類に関するこうした問題にニュートンの回転力学を応用することは、他の知識に比べて立ち遅れている。

 脳研究にもっとニュートン力学を応用すべし!(爆)

 さすがにこれは当時の基準をもってしてもあまりまともとは言えないであろうが、ここで実感してほしいのはリリー博士のトンデモなさではない*3。ここ半世紀の脳科学神経科学の途方もない進歩によって、我々の常識はすでに半世紀前のそれとかけ離れたものになってしまっているということだ。

 それにしてもですよ、いくら常識が現在とは違うとはいっても、なんぼ何でも不思議とは思いませんか? いったいどうして彼らはこんなに苦心してまでイルカ・クジラの知能を高いと見積もる理屈を探さなきゃいけなかったんでしょう?

 犬が三頭並んで犬ぞりを引っ張っても「おお、このような協調には緻密なコミュニケーションが不可欠だ! 犬は人間以上の知能を持っているに違いない!」なんて思わないのに、どうしてイルカが三頭並んで泳ぐとそう思ってしまうのだろう?

 鳥がどんなに精妙なダンスを踊り、美しい歌を歌っても「おお、なんと優雅で美しい! 鳥は人間以上の知能を持っているに違いない!」なんて絶対に思いやしないのに、どうしてイルカの跳躍やクジラの歌には人間以上の知恵を見て取らなければならなかったのだろう?

 不思議だと思うでしょう? しかしね、いくら宇宙が果てしなく複雑だとはいっても、今の世の中、素人が簡単に手を出せるようなところにそうそう不思議なんて残ってはいないんですよ。彼らにはもちろん必要があったんです。それも切実な必要が。

 "Seeing is Believing" (百聞は一見に如かず)と言いますが、私はそれをあなたに一目で信じさせることができる写真を目の前にしてます。御託はいいから早く見せろって? すみません、ここはシリーズ通してもハイライトシーンの一つなのでちょっともったいつけてるだけです。今すぐお見せします。覚悟はいいですか?

イルカと話す日5

 海に棲むクジラ類の脳の大きさは、類人猿程度のものから人間の六倍もあるもの(マッコウクジラの脳)まで実に豊富な種類がある。イルカや歯クジラの仲間は種類が多いが(五二種類)、彼らの脳の大きさはサル程度のものもあれば、人間と同じ大きさのもの、さらには人間の脳の四倍から六倍の大きさに達するものまである。

(中略)

 ピーター・J・モーガン博士、ポール・ヤコブレフ博士、サム・ジェイコブズ博士による入念な研究が明らかにしてみせたのは、大型のクジラ類の脳で発達しているのはマクロコンピュータの部分、つまり沈黙・連合皮質に限られるということだった。最も大型の脳を持つクジラ類の場合、他の動物の脳よりも体積の増えているのは、マクロコンピュータの部分だけなのである。ミニコンピュータは、より小型のクジラ類のミニコンピュータと変わらない。また神経細胞と神経組織の構成は基本的には人間と同じである。

 したがって、ヒトと同じ大きさの脳を持つクジラ類はヒトと同じ思考力を持っていると考えられ、またヒトよりも大きな脳を持つクジラ類は、ヒトの能力以上に遠い過去にさかのぽって物を推し量ったり、はるかな未来に向けて思考をめぐらすことができると思われるのである。

 おいおい「脳のサイズがそのままその生物の知性や思考力の大きさをあらわすわけではない」んじゃなかったのかよ!? ……なんてところに突っ込めと言っているわけではもちろんありませんよ。第22回の脳の図を憶えておくよう言いましたが、あなたには見えますか、第二の存在の大いなる連鎖が第三のそれにバトンタッチした瞬間が。たとえほんのダイジェストといえどもグールド師の講義を受けたからには、この写真が真理に基づく単なる事実の客観的な提示などではなく、彼らの考える「あるべき」宇宙秩序の縮図であるということを、わからないとは言わせませんぞ。

 とにかくここは極めて重要なポイントなので、この写真を穴の開くほど見つめながら、次回ももうしばらく考察を進めよう。ちなみにマクロコンピュータとかミニコンピュータって何? というのは例によって私に聞かないでくれ。私に言えるのは、脳をバイオコンピュータと呼ぶのが格好いいことだった時代があったということと、残念ながら後の科学はこのような見方を支持しなかったということぐらいだ。(つづく)

*1:この件については、この時代以降の科学の発展を概観する時にもう一度詳しく取り上げる予定だ。
*2:スティール・ボール・ランでもグレンラガンでもあらず!
*3:そんなことはもうわかっているだろうし、この発想自体は、LSDを使用したり、塩水タンクに浮かんで瞑想しようとしたりすることに比べればそこまで非科学的とは言えない。

おまけ

 懐かしき世界。

沸騰都市 第1回 ドバイ 砂漠にわき出た巨大マネー

(画像はWikipediaより)

 久々に見たテレビ番組。これは面白かった。ブルジュ・ドバイの凄まじさは聞きしにまさるな。いつかバブルが弾ける時が来ると思うと怖くもあるが。

NHKスペシャル|沸騰都市 第1回 ドバイ 砂漠にわき出た巨大マネー

今から30年前、地球上に人口1000万を超える都市は、東京、ニューヨーク、メキシコシティの3都市だけだった。いま、その数は20となった。上海、サンパウロ、ダッカ、イスタンブール…。ほとんどは、新興国の都市だ。20都市だけで世界のGDPの半分を占める。国連人口白書は今年、「都市の世紀の幕開け」を宣言した。

煮えたぎる都市の地殻変動を描くシリーズ「沸騰都市」。第1回はドバイを取り上げる。
世界最大の空港、世界最大の人工島、怒涛のようにオイルマネーが降り注ぎ、それを元手にあらゆる分野で世界一を目指す中東ドバイ。極めつけは、高さ800メートル、160階建て、世界最高の高さを誇る超高層ビル・ブルジュドバイ。2009年中の完成を目指して、今建設が24時間体制で進んでいる。ドバイ政府は、ブルジュドバイをピラミッド以来のアラブ社会の権威の象徴と位置づけている。

世界の建設現場からクレーンを根こそぎ奪い、バングラデシュやパキスタンから母国の数倍の給料で労働者をかき集めるドバイ。世界が不況に苦しむ中、ドバイに群がる人々の欲望の物語を描く。

おまけ

 都市繋がり。

1・2・3・4・たくさん

Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム

 もう何年も前の話だが『Mind Hacks』という本で“サビタイジング”という効果のことを知って、どうして歴代FFの戦闘画面のうちFF4のものだけがこんなにも見づらいのか? という長年の疑問に決着がついた気がした。

(FF4:6分過ぎから戦闘シーン)

(FF5:1分半から戦闘シーン)

 最初に思いつく説明は単純に縦にキャラが5人・ステータス画面5行が並ぶのは多すぎるからというものだが、FF5やFF6でも4人(4行)はいるのに、その戦闘画面は全然見づらくない。この差は数1つの違いだけでは到底説明がつかないと思っていた。しかし、

 サビタイジングの際、脳では、普通に数を数える場合と全く異なった処理が行われているように思える。いくつかの実験により、数える物が4つまでの場合は、1つあたり40〜80ミリ秒で数えられるのに対し、それを超えると、必要な時間は1つあたり250〜350ミリ秒に増えるということがわかっている。

(中略)

 サビタイジングの場合は、意識して注意を向けるというようなことは必要ない。視点を物から物へ移すこともない。(中略)そのため、研究者の中には、「サビタイジングは動作ではなく、視覚信号処理の副作用である」などと主張する人もいる。

『Mind Hacks』P134-135ページ

 というわけなので、実際に起こっているのはおそらくこういうことだろう。

  • プレイヤーが視線を移動させる。
  • 脳はそこにキャラが何人いるか・コマンドやメッセージが何行あるかを、無意識的に把握しようとする
    • 4人・4行の場合、無意識のまま約240ミリ秒で数え終わる
    • 5人・5行の場合、一瞬意識を持って行かれ、約540ミリ秒で数え終わる
  • 次の行動に移る

 戦闘中画面においてプレイヤーは、コマンドを入力し(下)・アニメーションを見(上)・ステータスを確認する(下)、といった具合に頻繁に視線を移動する必要がある。その度に一瞬数えることに意識を持って行かれて、約300ミリ秒を無駄にさせられることの積み重ねが「見づらい」という印象となって現れるのだろう。

 要するに4人(4行)と5人(5行)の間には実際に越えがたい差があり、5という数は多すぎるという最初の説明以上のものは必要なかったという結論になる。だからなんだというほどのものでもないが、もしかしたら誰の役に立たないとも限らないので書いておく。

おまけ

 年代的にヒャダイン氏の作品はいつもツボに入ります。

ニコニコ座談会レポート

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 はてなニコニコ部kausinaさんのお誘いで、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジのニコニコ動画研究プロジェクトのフィールドワークである。ニコニコ座談会に参加させていただきました。研究の役に立てたかわかりませんが、非常に楽しかったです。印象に残っている部分をまとめます。(※会話はイメージです。)

参加者

 私含め6名。

自己紹介

 すぐに話が広がるので全員の自己紹介だけで45分かかってしまう。

  • 「好きなタグ」は【現代医学の敗北】*1、「好きなアイマスキャラ」は閣下と答える。
  • 「視聴形態」はニコニコPodderを使って電車で見ることが多い。面白そうなら後で改めてPCで見る。
  • 「使用ブラウザ」私だけDonut系。私以外全員Firefox。う〜む、取り残されてる。
  • 「何を見て何をうpしてるか」東方・アイマス・VOCALOID・アニメ・ゲーム・歴史・科学まで節操なしに面白そうなら何でも見るが、一番ニコニコらしくて好きなのはゲーム動画。うpはしてないがもしするならレゲー・フリーゲーム関係か。

メタデータがコンテンツになりコンテンツがメタデータになる

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

  • ニコニコが最もニコニコらしく面白いのは、ボブとか空気読み芸が鮮やかに決まっているやつだね。
  • “kuuki”という概念は日本独特で、英語に翻訳しようがねーよw
  • ガチムチ兄貴なんか最初は上げ荒らしだったのにみんないつの間にか目ざめてキャラとして定着しちゃった。
  • うざがられるも受け入れられるも空気次第?
  • アスキーアートがコメントアートに。
  • 英語のAAは絶滅状態。どうしてもascii文字しか使えませんからね。
  • 日本のはアスキーアートというよりユニコードアートだよね。
  • やはり全体として2ちゃん文化の引き継ぎは大きい。
  • コメントが盛り上がってるところに自動でジャンプできるGreasemonkeyスクリプトとかどうよ?
  • それなんて強制ネタバレの刑?
  • ようつべなんかではハイライトだけ見たいという需要がわりとあるよ。
  • ニコニコだとオチに至る過程が重視されてたりしますからね。

コメントよりタグの方が面白いかもしれない

  • ニコニコのタグシステムは集合知を実現するためにすごくよく考えられている。
  • 10個しかない。ロックシステムで作者名・カテゴリ・ジャンルなどは保護。
  • 残りをリンク・ネタ(タグ把握www)・ガイドその他諸々が淘汰しあう。
  • 視聴者がつけたうp主をいじるネタタグをわざとロックして笑いを取るというような使い方もある。
  • ようつべではスペースが完全に単語区切りでたとえばGeorge BushタグをつけたくてもGergeタグとBushタグになってしまう。
  • 確かにそれは損してるかもしれない。偶然だろうけど日本語が有利だった点か。
  • 新しいタグが誕生して定着した瞬間をみたことがあります?
  • あんまりないかも。印象に残っているのは【さだまさし】*2ぐらいかな。友人マリオの削除は残念。

もやし炒めときしめええええええええええええええん!

 同じビルの居酒屋に移動して二次会。迷わず注文するもの(写真)がもうすでにニコ中すぐる。

オタクイズデッド

その数学が戦略を決める

 有村さんのオタクインターネット史講義をkausinaさんと聞きながら話をする形になった。面白かったのはこのあたり、

  • ネットによってストックよりフローというか、スピード・瞬発力が大事になってる。
  • アイマスMADでもジェバンニなPが注目と賞賛を集めますね。
  • 個人の経験・知識の蓄積という意味では、もうGoogle先生にかなう人は誰もいないわけで。
  • 人間データベースであるところのオタクの価値はなくなってきてる。

 もちろん継続によって得られるものも大きい。信頼と安心のわかむらブランドとか、毎週金曜夕方にきっちりUPされて人気を得た桃月Pのランキングのように。

*1:【作者は病気】【作者は手遅れ】シリーズの最上級として機能しているタグ。
*2:歌手ではなくマリオワールドの空耳の方。最近の改造マリオ大量削除のため確認できず。

おまけ

公理の話

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

数学に関する質問です。なぜ一度正しいと証明された定理が覆されることがないのか? ということが理解できません。 「あらゆる科学理論は本質的には仮説であって真理ではあ.. - 人力検索はてな

へのはてなブックマークに対して、

では、公理そのものの妥当性は何がどう担保しているわけですか? - BLOG15の日記

では聞きますが数学の演繹の出発点の公理系そのものの妥当性、正当性は何によってどう担保されているのでしょうか? 本質的に間主観性としての、つまり主観の寄せ集めの仮決めでしかないと思いますが。

 という質問が来たので、ちょうどいい機会だから公理について書いてみる。もともとの質問への回答でだいたい言い尽くされているような気もするが。

 数学の演繹の出発点の公理系そのものの妥当性、正当性は何によってどう担保されているのでしょうか?

 何によってもどうやっても担保されてなどいません。妥当性を担保されているものは公理ではありません。定理です。定理の妥当性を担保するのは公理です。で、じゃあ公理って何なんだということになるわけですが、

 本質的に間主観性としての、つまり主観の寄せ集めの仮決めでしかないと思いますが。

 その通りです。公理っていうのは主観であろうが何であろうが根拠のない仮決めなのです。もし根拠があったらそれは公理ではなく定理で、その根拠の方が公理です。

 なんでそうなのかというと、もし公理に根拠がなければいけないとすると、その根拠の根拠はなんだ? という疑問がただちに生じて、根拠の根拠の根拠の……(∞)……という無限退行に陥って、いつまで経っても何も言えなくなります。

 それでは何も面白くないので、根拠なしにある一連のことを勝手に正しいと決めて「公理」と呼ぶことに決めるのです。以降は仮想問答。

 勝手に正しいと決めるって……それでいいの?

 それでいいんです。

 だって勝手に決めたらそれが妥当かどうかわからないじゃん。

 と思うでしょうけど、公理には妥当も不当もありません(自己矛盾している場合以外)。たとえば「全ての数は0に等しい」というような公理を持つ公理系を作ることは可能です。その公理系が“普通の”数学の公理系に比べてどっちが妥当だとか妥当でないとかいうことはありません。

 んなアホな。どんな公理も等しく妥当だっていうならどれも無意味って事になるじゃん。

 そうじゃありません。公理系の価値は、そこから導きうる様々な定理や結論が豊かで興味深いかどうか、あるいは現実に応用可能か、平たく言えば面白いかどうかで決まります。「全ての数は0に等しい」というような公理系は何もかもが自明で面白くないから誰も研究しないし話題にしないだけのことです。

 要するに公理はゲームのルールみたいなものです。「オセロはどうして自分の色が多いと勝ちなの?」という問いは馬鹿げてます。「作者がルールをそう決めたから。」以上の答えはありません。

 「色の少ない方が勝ち。」とか「コマを指ではじいて回転させ、倒れたときに上になっている色を言い当てた方の勝ち。」とかいうルールを勝手に決めても別に悪いことはありません。そのルールが元のルールと比べて妥当であるとか妥当でないとか決める絶対の基準が宇宙のどこかにあるわけではありません。単にそれはオセロではなく、たぶんそんなに面白くないというだけのことです。

おまけ

『ミスト』オススメ度9/10

ミスト

 これは予想外! 「さてちょっと“いかにもB級”って感じのおバカ映画でも観に行くか」と思ってたら裏切られました。スティーブン・キングのこの系統の映画化は、これまでひどいのばかりだったのですごく意外です。モダンホラー有数の傑作になったかもしれません。

 宣伝と違って衝撃とかすごい謎とかいう類のものではないですが、ネタバレすると魅力がかなり薄れるのは確かだと思うので掲示板や読者レビューのサイトは見ない方がいいかも。一つだけ注意としてはホラーなのでそれなりにグロいシーンもあります。グロ耐性ない方以外には自信を持ってお薦め。

おまけ

 モダンホラーと言えばゾンビ(ポップなドット絵とはいえかなりのグロ。注意!)。

最終喜械(エンドジョイ)

エンドジョイ

最終喜械

 こういう話を見て思い出すのは『銃夢』のこのシーン。私は冗談抜きでこういうシステムは実現するんじゃないかと思う。まだ数百年は先の話だろうけど。

 人間(を含む全生物)が一般に死を忌避することも、にも関わらず最後には死ぬことになるのも、そうした方が有利という単なる遺伝子の都合であるし、社会が一般に自殺を禁じるのはその法律や宗教を維持し広めるのに役立たないというミームの都合で決まっていることだ。

 それらの制御を脳と科学が凌駕して、言ってみれば精神が自由になるにしたがって、自殺を抑制する根拠はどんどん消滅していく。実際にある程度はそうなりかけているからこそ自殺もあれば、安楽死もすでにあるわけだし。

 人間の不老不死化が可能になる時代はもうそんなに遠くない。今生きている人間は間に合わないだろうが、もし今から300年以上かかったら私は驚く。宗教も今日時点ではまだまだ強いといっても退潮傾向はもう止められまい。

 何もしなくても満足するまで好きなだけ生きられて、国や宗教ごとに勢力を張り合う必要性もなくなった完璧に豊かで完璧に安全な社会が到来したら、おそらく本物のエンドジョイが作られるようになるんじゃないかな。

おまけ

 明るい死繋がり。

『クローバーフィールド/HAKAISHA』オススメ度7/10

クローバーフィールド

 あの日の恐怖も娯楽で消費「クローバーフィールド」 - 深町秋生の新人日記

 この評を見て興味が沸いたので観に行った。賛否両論ありそうだが私は十分面白かった。期待するものを間違えさえしなければかなりの良作ではないかと思われる。トレイラーの印象とは裏腹にあまりネタバレを気にするような作品でもないので、まだの人も上の評を読んで観るか否か判断するといいと思う。

 これから観に行く人は一点だけ注意。映画の字幕は冒頭に作品の面白さを損なうひどい誤訳がある。おまけの予告動画のものが正しい。

おまけ

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