■世界樹の迷宮リプレイ第 1回 結成!ギルドJINROH
■弐瓶勉『BLAME!』の映像化だそうで
『BLAME!』映像化プロジェクト開始(3/22)アニメのニュースと情報映画『蟲師』がとんでもない出来に終わってがっかりを通り越して激怒していたところなので、これはいい物になって欲しいが……。安易に期待はしないことにした方がいいのだろうか。以前にも書いたがこれと『イハーブの生活』が載っていた頃のアフタヌーンは本当にすごかった。
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■世界樹の迷宮リプレイ第 0回 ルール策定会議

単純に自分の生活環境が昔と変わったせいもあるだろうが、ここ数年長いゲームをやっていない。『ポケモンパール』も十分面白いと思いつつも途中までしかプレイせずに放棄してしまったし、『ぷよぷよ!』も決して悪い出来ではなかったのに結局総プレイ時間3-4時間程度で売ってしまった。
『ゼルダの伝説トワイライトプリンセス』だけは一応クリアまでプレイしたが「最近のゲームがどうなっているか一本ぐらい最後までやっておかなければ」という意識が働かなかったら途中でやめていたかもしれない。しかしそんな中でも着実にプレイできているゲームもある。『Wii Sports』『えいご漬け』『常識力トレーニング』あたりがそうだ。
共通する特徴は一プレイあたりの時間が短いことだ。最近どこでも言われていることではあるが、忙しい現代人にとってはこういう邪魔にならないゲームがトレンドなのであろう。歳を取るといい物をちょっとだけ食べたくなるようになるというがゲームもそうかもしれない。というわけで(どういうわけだ)以前から気になってはいた『世界樹の迷宮』を買ってきて、リプレイでもやりながらゆっくり遊ぶことにした。こんな風に↓
■大友克洋は死罪でも生ぬるい。映画『蟲師』(オススメ度0/10)
主文、大友克洋は死罪。映画「蟲師」:オダギリジョー 蒼井優|忍之閻魔帳
を読んだときは「原作が原作だからいくらなんでもそこまで酷いわけないでしょ。あからさまな釣りタイトルでアクセス狙い必死すぎクスクス」とか内心思ってましたが今は120パーセントほど同意(貞子は言い得て妙だわ)。
正直「これはひどい」ってレベルじゃないぞ。私の知る限り空前のひどい漫画映画化(ただし『デビルマン』を観てないが)。どうやったら『蟲師』を原作に血まみれB級ホラー映画(全く文字通りの意味)を作れるんだ!?
原作から「柔らかい角」「筆の海」「雨がくる虹が立つ」「眇の魚」と比較的良い話を元ネタに選んでいるのに、各エピソードの最も大切な要素を削って最もあり得ない要素を付け加え、全てのキャラが最も言って欲しくないセリフを吐きまくる。
大友克洋は紛れもない天才だし結構好きだったけど、これの監督かと思うともう一生まともに見られないかもしれない。まあある意味これも天才の業には違いない。何か原作に恨みがあってわざとひどいものを作ろうとしたって普通の人間にはここまでひどいものは作れないぞたぶん。
ああ映写機のレンズが歪んでるのかと思うようなヘタクソな題字を見、『遊星からの物体X』を思い出させるような(今思えば結構的確な連想だったなこれ)ヘンテコなオープニング音楽を聞いた時点で席を立てばよかった。唯一の救いは新聞屋からもらったタダ券で観たので金銭的被害がゼロだったってことだ。
無理にでも良いところを探せば虹蛇の映像化が思ったより綺麗だったことか。しかし価値があったと思うのはそのシーンの10秒やそこらぐらいのみ。残りはできることならば私の記憶からもこの世からも抹消してしまいたい。
原作好きな人は絶対観ちゃだめ。まだ観てない人は悪いこと言わないから原作かアニメから入ることを強く勧める。不幸にも映画を先に観ちゃった人は何かの間違いだと思って忘れた方がいい。
もちろん私がアフタヌーン四季賞どころかファンロードにプロトタイプ『虫師』が載ってた頃からの古いファンなので原作至上主義に陥って(だから原作に忠実なアニメ版は好きだ)冷静に観れてない部分は絶対あるだろう。疑ってくれてもいい。でも観に行って後悔しても責任取れないよ。
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■豚肉とコーラと倫理の究極の問題
医学都市伝説: 豚肉+コーラで寄生虫がゴロゴロ?イスラム教で豚肉が禁じられているのは有名だが、世界には大なり小なり様々な食のタブーがある。歴史上もっとも食のタブーが少ないと言っても過言ではない現代の日本ではこれらのタブーは非常に奇異に感じるであろう。
こうした話題になるとネットではよく「何の根拠もないのに『神の思し召しだから』とか言ってタブーを守るなんて狂っている」という類の主張が見られる。
私も信仰には縁遠い人間であってその気持ちは非常によくわかるが、残念ながらその批判は間違っている。一神教的な体系においてはタブーに何の根拠もないのはおかしなことでもいい加減なことでもなく必然である。
それはソクラテスが倫理の究極の問題と呼んだもの(だったっけ? うろおぼえだから何か間違ってると思う)に関連している。 「神の命じることは正しい」のか「神の命じることが正しい」のかの問題だ(これだけで「ああそれは大問題だなあ」と思えた人はとても勘がよい)。
「神の命じることは正しい」と考えてみよう。神は何か正しいかをよく知っているので間違ったことを命じることはないとする。一見それでいいような気がするが、この場合神はどこかにある何らかの究極の倫理の基準を非常によく(たぶん完璧に)知っている何者かに過ぎないことになってしまう。これでは神はその究極の何かの代弁者に過ぎないことになり、全能の神という概念とは相容れない。非常にまずい。
では逆に「神の命じることが正しい」としてみる。神が従わなければならないような基準はどこにもないものとする。すると今度は神の命じる倫理基準には“神がそう望んでいるから”あるいは“神の気まぐれ”以外のいかなる理由も根拠もない(むしろあってはならない)ことになる。そのどちらでもないとかその中間であるとかいうことは不可能だ。
ともあれ実在の一神教はこの両者の中では後者の立場を選んでいる。神は「子供を殺せ!」なんて言わない……ことはない。それは神を人間が決め(られ)る程度の倫理に束縛される存在に過ぎないものとすることになる。もし神が「子供を殺せ!」と言ったらそれが正しいのだ(旧約聖書の世界はマジでそんなだ)。
もちろん「どっちも同じぐらい無茶苦茶だからどっちでもいいじゃん」とか「そもそも全知全能とか絶対の正義とかいう概念が間違ってるんだろ」とか言ってしまえばそれまでだし、むしろこんな風に「やっぱり狂ってるじゃん! 一神教なんかなくなっちまえ」的な考えを持つ人もいるだろう。
これを中二病と笑うのは簡単だろうが、真面目に唱えている人もいなくはなくて、たとえばリチャード・ドーキンスなんかがそうだ。ドーキンスの学問的業績を考えるとこのことは大いなる皮肉になるわけだが、それはまた次の機会に。
■Joel on Software
■なぜかミリオンダラーベイビーの画像がひぐらしの竜宮レナに見える件について
ひぐらし(PC版)を知らない人には全くわからない話題だから飛ばしてもらいたい。知ってる人は1分ほどつきあってもらいたい。全くの偶然に変な事象を発見した。まあタイトルの通りなのだが目の錯覚か、今日ひぐらしの電波ソングのサンプルを聞いて爆笑しすぎて私の頭が変になったのかどちらか試してもらいたい。
ちょっと右上のミリオンダラーベイビーの画像をクリックして拡大表示にしてみてくれ。画面はずっとそのままだ。次に首を左に回すか、体全体を左に回して左斜め前45度ぐらいを向いてもらいたい。
ただし視線は画面に固定“しない”。逆に言えば今まっすぐ見ている方向を基準にして右斜め前45度の方向にモニターがある状態にしてもらいたい。
そうすると私の脳にはモニターに私服でかぁいいモードの竜宮レナの画像が映っているかのように見える。右を向いてもそう見えないことはないが左に向いたときよりはずいぶん劣る気がする。
白とオレンジ(肌色)の配置が類似しているからそう見えるのだろうという予想はつくのだが、まっすぐ見ている状態では少しも似ているとは認識できない。一体どういうメカニズムなのだろう。不思議だ……。
■妄想の翼広げて 人生・MMORPG・麻薬・ライフハック
実験的エントリ。あえてまとめずに思いついたこと全部書くことにする。宇宙はその時々の思想の先端にあるものに喩えられる。古代では人間に、ニュートンの時代には時計仕掛けに、少し前まではコンピューターに、現在ではカオスと自己組織化の原理に支配される量子の渦に。
人生は神ゲーだ
人生も様々なものに喩えられる。私のお薦めの本『頭にガツンと一撃』の中に、人生を何かに喩えた言葉ばかり集めた部分があった。ほとんど全部忘れたが1つだけドーナツに喩えたものが記憶に残っている。確かこんな感じだ。
焼きたてのうちは柔らかく美味しいが、冷めるにつれてだんだん硬く不味くなる。真ん中に大きな穴が空いているのは謎だがそれがなければドーナツとは言えない。人生が喩えられるものの一番人気は昔も今もゲームだ。そうでなくともライフハックをせっせとブクマしながら「人生はゲームだという喩えは適当か否か」も何もないもんだと思うが、元々ゲームは人生(の一部)を模したものであるのでトートロジーっぽいとは思う。
日刊スレッドガイド : ネトゲこええええええええええええええ!
確かにMMORPGなどはこれまでの世界に存在しなかったレベルでの人生のシミュレーションであろう。生産し、交流し、戦う。しかし敵との戦闘や仲間との交流が面白いのはわからんでもないとして、なぜしばしば単純労働のような生産行為がゲームに組み込まれているのか?
そんなことはしないで済む方が面白いはずでは? そんなことに麻薬中毒に喩えられるぐらい、稀なケースとはいえ本当に死に至るまでハマってしまうなどということが起こりうるのはなぜか。
この場合麻薬中毒の喩えはそれほど不適切ではないかもしれない。人がなぜ麻薬中毒になるのかというといろいろ説明のレベルはあるが、今回必要な点だけ言うと「麻薬の分子は人間の脳がもともと作っている快感を感じさせるための物質によく似た形をしているから」だ。
(順調にいっている)単純な生産行為を快感に感じる性質は、長い狩猟採集農耕牧畜の生活様式の中で進化し、すでに脳内麻薬のレセプターの分子構造同様バッチリ(死語)人間の遺伝子に刻まれているはずだ。
ゲームでガンガンレベルが上がるとか、面白いようにアイテムやお金が貯まるとかいう状態は、人間が生きるために進化させた、正常な労働に対する快感(という言い方が変に感じるなら達成感とか言い換えてもいい)を与える仕組みに対する超正常刺激として働いているものと思われる。
要するに麻薬もMMORPGも、どのレイヤー(階層)で行っているかの違いはあれど、つまるところ報酬系をハックしている。
これらから何が言えるだろう。ゲームは麻薬だと単純には言えまい。おそらくゲームにすらハマれない人間は現実の人生でも成功しないはずだ。もちろん逆は必ずしも成り立たない。つまりゲームにはまる人間が現実でも優秀とは限らない(「英雄は色を好むが色を好むものが英雄とは限らない」という定番ネタと同じ)。
ゲームが行っている報酬系ハックの仕組みを学び、リアルワールドに流用する。人生をゲームに喩えるだけでなく積極的に人生をゲーム化することによって現実の人生を充実したものに変えられる可能性は大いにある……っていうか改めて提唱するまでもなく、それがLife Hack と呼ばれているものだ。はい車輪の再発明でした。
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■信仰と懐疑の本質を描く 星新一『殉教』
死後の世界と交信できるテレビが発明された。
すでに亡くなった親類縁者・友人達が言うには、死後の世界は無条件にあらゆる苦悩から解放される楽園であるらしい。それを信じて自殺した人もすぐにテレビの向こう側に現れ「こんなことならもっと早く死ねばよかった。君らも早く来い」「死刑など即刻廃止し少しでも長生きさせる刑に改正すべきだ」などと口々に語り始める。
かくて大半の人間が自殺をとげ、廃墟となった町でブルドーザーで死体を片付けている男。数少ない他の生き残りになぜ自殺しなかったのかと聞かれ答える。「さあな。俺には生まれつき信じるという能力が欠けているらしい」
およそ全ての宗教は何らかの形で死後の世界あるいは死後の生があると主張する。現代の平均的な日本人はもし死後の世界を信じるかと聞かれたらとりあえず「いいえ」と答えるだろう。もちろんそんなことは話題にしないのが礼儀とされているのでそもそも聞かれないだろうが。
では何故信じないのだろう? 「それが普通だから」などといういい加減な答えは許されない。人類全体では信じる方が圧倒的多数派、すなわち「普通」だ。
証拠がないから? なかなかいい答えだ。じゃあ証拠があれば信じるんだろうか? 聖典にそう書いてあったら信じる? 教祖様が空中に浮いて見せれば信じる? 死人がテレビに映って喋れば信じる? さらにそれが自分が本当に信頼する人なら信じる?
1つのif で信仰と懐疑の本質を鋭く描き出す、星新一のショートショートの中でも痛快な一編である。さて、あなたはこの世界では自殺する? コンピュータがチューリングテストに完全に合格すれば心があると思う? 『ぼくになることを』の世界に住んでいるとして安心して「宝石」に「スイッチ」する?
■悪魔のロングテール
という言葉が唐突に頭に浮かんだ。このようにネットが存在することによって、ネットがなければ問題にならないちょっとした悪意や犯罪(もっともこの例ではちょっとしたどころではないようだが)が積み重なって意味を持ち始めるということも当然あるんだろうな。しかし実際に自宅サーバーの管理を放置気味の私としては人ごとではない出来事である。アップロード可能掲示板(いわゆるあぷろだ、ファイル置き場)を設置していると、誰かが著作権法違反をする以外にも犯罪に巻き込まれてサーバを押収されることがある
【駄文待避所 - ひどい目にあったより引用】
■DIO様・フリーザ様・中国様
最近中国を「中国様」と呼んでいるのを結構頻繁に見かける。個人的にはいかなる対称であっても名称・呼称をおちょくるのは反則であると思っているので自分では使わないが、その理由を抜きにしてもこの「中国様」という呼び方は好きになれない。もちろんそう呼びたくなるのはわからなくはない。わかればこそである。世界に対する当事者意識の薄さを感じさせるところが好きになれないのである。この「様」はフリーザ様とかDIO様の「様」と同じ用法である。私は勝手に「美学を持つ悪役の“様”」と呼んでいる。基本的に力こそ正義と信じ、どんな卑怯な手段も目的のためには当然として恥じることなく、決して良心の呵責に苦しんだり改心して主人公の仲間になったりせず、仮に主人公に命を救ってもらったら絶対に直後に背後から襲いかかるような、フィクションでしか許されないような悪への憧れの気持ちを満たしてくれるような、そんな純粋な悪役だけに許される用法だ。
ラスボス級の敵キャラと条件が重なることが多いので大抵は強いが、強いことは必須条件ではない。ややマイナーだがアミバ様のように、弱くてもとことん外道を貫き通して最後までぶれなければ資格はある。逆にどんなに強くても後で心を入れ替えて主人公たちの仲間になったりするようでは失格である。だから基本的にベジータ様とは呼ばれない(ベジータは軽い嘲笑の意味で「ベジータ様」と呼ばれていることも多いのでややこしいが)。
要するに「中国様」は『歴史の終わり』という連載漫画のラスボスで、「現実」では許されない悪への憧れ(汚職政治家を片っ端から逮捕投獄処刑できたら政治はどんなにかわかりやすいだろう? 真っ赤な嘘でも政府見解をそのまま報道するようにマスコミに強制できたら外交はどんなにか有利だろう?)を代わりに満たしてくれる魅力的なキャラなわけだ。チベットやダルフールは差詰めナメック星ぐらいか。
■『ひぐらしのなく頃に礼』
ずっと感想書き忘れていたが一応プレイはしていた。賽殺し編、昼壊し編共に面白かった。特に賽殺し編は短めながらも、ひぐらしが一番面白かった頃の感覚が戻ってきたようでとてもよかった。ちなみにひぐらしデイブレイクはプレイしていないが昼壊し編を読むのに特に問題はなかった。祭囃子編も十分面白かったという感想を書いたことに偽りはないのだが、あくまで「ひぐらしの性質上(この辺のエントリ参照)残された謎がなくなっていくにつれてだんだんつまらなくなっていくのは仕方がない」という予測を織り込んだ上で十分面白かった、ということにすぎず、本音は結構不満だったということがわかった。次回作も遠くない未来に出るようだが期待は大。











