■自作の改造マリオ(スーパーマリオワールド)を友人にプレイさせる
私の書いたものとして現在残っているものの中で一番古いノートには、どうもスーパーマリオブラザーズ(もちろんFC版の方)のオリジナル面をデザインしようとしているとおぼしき落書きが残されている。年代から考えて幼稚園から小学一年生ぐらいの頃か。当時はただの妄想に過ぎなかったが、現在ではPCとエミュレーターの存在によって比較的容易に実現することが可能になっている。以前ニュースサイトで見ただけだがマリオワールドについては専用のROM改造ソフトも出回っているそうだ。
そんなわけでYOUTUBEやニコニコ動画にはマリオワールドだけでも数え切れないほどの改造ROMプレイ動画が出回っている。改造の方向性として、主にネタ系(お笑い)とガチ系(高難度)があるが、最近ガチ系でお気に入りなのがこのシリーズ。画像やBGMの変更に頼らない作者の構想力と、超難度エリアをクイックセーブなしで必死に突破していく友人のテクニックのぶつかり合いが下手なネタ系よりもよほど笑える。
そんなわけでYOUTUBEやニコニコ動画にはマリオワールドだけでも数え切れないほどの改造ROMプレイ動画が出回っている。改造の方向性として、主にネタ系(お笑い)とガチ系(高難度)があるが、最近ガチ系でお気に入りなのがこのシリーズ。画像やBGMの変更に頼らない作者の構想力と、超難度エリアをクイックセーブなしで必死に突破していく友人のテクニックのぶつかり合いが下手なネタ系よりもよほど笑える。
■いただきストリートDS
前から予告してたけどやっぱり買っちまったぜ。帰りの電車でなんとか城という初心者コースをプレイ。スライム・ピノキオ・ももんじゃというカオスなメンツを相手に「人類としてこいつらに負けちゃいかんだろ」と真面目に戦う。右下のエリアを地盤にさくっとクリア。もちろんAIの強さとか各マップの完成度など深い部分はまだわからないが、今のところ期待しうるかぎり最高の出来だ。ともだちコード:
0817-0781-2227
とにかく一度Wi-Fi対戦機能を有効に生かしてみたいところなので対戦者募集します。希望者いたらコメントなりメールなりしてみてください。できれば週末にIRCか何かでチャット環境もしっかり用意してやりたいところ。
6/27追記
とりあえずツアーモードを順番に制覇して行ってます。今のところ負け知らずでピーチ城までクリア。7/6追記
ツアーモード制覇。ドルピッグタウンとかいうマップで一度だけ勝利条件を勘違いして2位を狙ってしまって失敗したがそれ以外は無敗だった。おまけ
筒美京平は神。■世界樹の迷宮リプレイ第 9回 蟷螂のオーノー
■世界樹の迷宮リプレイ第 8回 牛追い祭り
■300 スリーハンドレッド(オススメ度 9/10)
正直やられた。「これが楽しめる奴とは是非友達になりたいぜ!」感覚があの『スターシップトゥルーパーズ』にも匹敵する。ロードオブザリングの冥王サウロンの軍勢より人間離れしたペルシャの大軍に少数精鋭のスパルタンX(違う)が立ち向かう! ムキムキマッチョがぶつかり合い血飛沫が飛び散る!
いくらイランに対するプロパガンダの要素があるとはいってもここまであっけらかんとやられると正直腹も立たないわ。大まじめに抗議しなきゃならないイランの外務省職員はご苦労様である。
あえてそういう政治的なところにこだわる人にもおすすめしてみる。イラクがアレなことになってしまっている現在、ハリウッドがこんなふうにあからさまにコケにできる異文化はごく少ない。
すなわちそんな扱いをしても差別と糾弾される心配がないほど押しも押されもしない強大な異文化なんてもはや国名で言えば日中イランぐらいしかないわけで、このうち日本人としては日中は近すぎてなかなか客観的には見られない以上、この映画はすごく貴重なケースになる。
なんとなく『シン・シティ』を連想させるなあと思ったらどうやら同じ作者のコミックスの映画化だったらしい。知らなかった。女性に対してはよほどの筋肉フェチでもない限りおすすめしない。どっちかというと不愉快かもしれない。
おまけ
トレーラーっつーより戦闘シーンの一部かな。雰囲気をつかむのにいいかも。■ガイア教の天使クジラ その2
(ガイア教の天使クジラ その1の続き)21世紀の現在では想像するのも難しいが、概ね19世まではキリスト教の真理と人種差別はまったく自明のものであった。全知全能の神をトップに戴く一次元的な階層構造があった。
そういうものを書き表すのにおあつらえ向きな不等号厨メソッドを使うとこうである。
古い存在の大いなる連鎖(各階層の差を作り保証しているのは神)
全知全能の父なる神>>>(全知全能の壁)>>>天使>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種>黒人≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類>鳥獣>魚>地を這うもの>草木>無生物>塵芥進化論を筆頭とする科学の進歩によって、この美しく居心地の良いヒエラルキーを維持するのはだんだん難しくなっていった。もはや人間は動物とは違って神によって特別に創造されたと信じることは難しくなってきた。この“危機”に際しての対応は大きく2つの方向に分かれた。
1つは今でもID論を推進しているような、単純に用語をキリスト教的でないできるだけ科学的なものに置き換えるだけで、基本的にキリスト教の教えをそっくりそのまま守ろうとする方向。もう1つは進化等の科学的事実は認めるものの、今度は自然科学そのものに神の意志や人間への愛を見て取ろうとする自然神学の方向である。
存在の大いなる連鎖修正版(各階層の差を作り保証しているのは進化・科学)
神≒やがて人間が進化するべき究極の知性>>>(超未来の壁)>>>より高度に進化した人類>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種>黒人(進化の遅れた人類)≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類>哺乳類>鳥類>は虫類>両生類>魚類>昆虫その他>草木>微生物>無生物>塵芥全ての生物が人間に向かって一直線に進化の階段を「向上」してきたこと、そして白人が全ての人種の中で最も進化した人間であることを示すために、ありとあらゆる努力が傾けられた。この方向性はヒトラーの絶滅収容所に象徴される20世紀前半にピークに達し、その反動で一気に衰退した。
存在の大いなる連鎖は再び修正を迫られることになった。この“危機”に対する反応は前回よりももっと深刻で四分五裂することになったが、ある一派はフェミニズム・公民権運動・反帝国主義・自然保護運動その他諸々の思想状況の変化を目一杯取り込んで比較的魅力的な以下のような形に再構成することに成功した。
存在の大いなる連鎖最新版(各階層の差を作り保証しているのはラブリーでスピリチュアルな何か)
母なる地球ガイア>>>(超科学の壁)>>>クジラ・イルカ>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種≧黒人≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類≧哺乳類≧鳥類≧は虫類≧両生類>魚類>昆虫その他>草木>微生物>>>無生物>塵芥これが新しい存在の大いなる連鎖である。クリスチャン・ラッセンの絵が新しい宗教画である。計画性のない焼き畑で森林を破壊し、援助物資を内戦や子作りに浪費し、賢く可愛いチンパンジーやゴリラを迫害し、気高く罪のない鯨を殺害する愚かで野蛮な土人どもは、やはり自然を愛する我々が保護し導いてやらなければならない。新しい「白人の責務」である。これらは昔と比べると随分いい加減で格好悪くなってしまったけれども、それでも何もないよりはずっと安心だ。
ここまで来てやっと過激な捕鯨反対派の中に「クジラは人間よりも知能が高い」という主張をするものがいることの意味がわかってくるだろう。古い存在の大いなる連鎖では「天使」、少し前の版では「より高度に進化した人類」がいた地位に相当するもの、自分たち白人のすぐ上にあって究極の存在との仲立ちをしてくれるものが、新しい大いなる存在の連鎖にも必要だったからだ。その地位に担ぎ上げるのに一番適していたのがクジラ・イルカだったのだ。
(今回の話にはあまり関係ないので深く追究はしないが、実在の宗教とその歴史を見る限り、どうも人にとって全知全能の神などの概念だけを信じろというのはとても難しく、天使や精霊といったそれとの仲立ちをしてくれる概念を必要とするようである。)
私はもちろん白人ではないけれども、神の似姿からサルの同類に転落してしまった無念と恐怖を理解できないふりをすることはできない。反捕鯨派の主張が非科学的だと言って非を鳴らすのは簡単だがそれは何も解決を導くことはできない。問題はそこにはないからだ。もし本当に何か進展が必要だと思うのなら、少なくとも彼らの叫びをまともに受け止めて答えることができるようにならなければならない。
「お前らはこれ以上いったい何を要求する気だ? 珍味だか伝統文化だか知らないがそんなもののために、棺桶に片足突っ込んで思想の墓場に運ばれる時を待っている老人の最後のわずかな希望まで奪おうとしないでくれ! クジラがカバに近縁の哺乳類の一種に過ぎないと認めてしまったら、いったい誰が俺たちをお前たち劣等人種と違って神の御心にかなう者であることを保証してくれるというんだ!?」(つづく)
アーサー・ラヴジョイ 内藤 健二
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おまけ
おっくせんまんに続くロックマン2ソングヒット作。ノリがいい。これ曲はオリジナルかな?■ネットイナゴネットイナゴ
えっ、何それ三国志オンライン? としか思えない私がいる。てか普通に「炎上」でいいじゃん。池田信夫 blog はてなに集まるネットイナゴ
このエントリ見てたらなんか思い出したので例によって『表現の自由を脅かすもの』からの引用を二箇所ほど。
それでは、人を傷つける意見の規制はどのように正当化されるだろうか。(中略)その論理を辿れば、これらの議論は皆、同じ結論に回帰する。つまりそれは、勝手な批判(従って自由科学)が危険ないし有害であるから、正しい考えの人達によって規制されなければならないというものである。
「何故頑迷な意見を許しておくのか。」(中略)一体誰が、どの言論は〈頑迷〉であり、どの議論は単に〈批判的〉であるのかを決めてよいのかという重要な問題に行き着かざるを得ない。(中略)何故それが、人気のない意見であるというより、〈頑迷な〉提言ということになるのか。その違いは何か。そして誰が発言するのか。
頑迷な意見に対する反対派の人々は、問題に対して真っ正面からぶつかることを決してしない。何故ならそうすると自分達の正体がばれるからである。我々、つまり正しい考え方をするものが、誰が頑迷であるか、ないかについて発言するものであるというのがその答えである。
誰かが、頑迷な、あるいは気に障る、あるいは被害を与える、あるいは抑圧的な、あるいは邪悪な意見は、禁止されるべきであると言うとき、実際に彼が言っていることは、「私の憎悪する意見は禁止されるべきである」というに尽きる。別の言葉で言えば、彼は、プラトンが哲学者(すなわち彼)が社会の幸福のために支配するべきであると主張したときにやったことと同じ事をやっているに過ぎないのである。彼は力ずくでひったくろうとしている。彼は、法王、アヤトラ、哲人王になりたがっているのである。
「何故憎悪に満ちた、あるいは誤った意見を許容するのか」という質問に対する答えは、プラトンが彼の空恐ろしいユートピアを開陳して以来ずっと同じである。別のやり方はもっと悪いから、というわけである。
「我々は、批判や吟味、正しい憎悪や脅しを押し止めようと欲するものではない。」ところで何時も困ることといえば、ある人の憎悪に満ちた発言は、別の人の真摯な批判であるということである(「ホロコーストはイスラエルの捏造である」)。そうなると、誰が線を引くべきか。
「規制しなければ、悪しき批判は良い批判を駆逐するであろう。」つまり、頑迷かつ邪悪な攻撃は、筋の通った議論を不可能にする。だから、批判的討論をめちゃめちゃにしないように、規制が必要だというのである。
極めて短期的な見方で、しかもごく限られた小グループの場合を別とすれば、実のところ真理はまさにこの反対である。良い批判が悪しき批判を駆逐する。自由科学のゲームで効果を上げたいと思うならば、自分は正しいと他の人達に説得しなければならない。しかも、一般的に言って、口汚くがなることは、改宗者を得るには拙い方法である。その理由から言っても、ある卑しい言葉を叫ぶなどというやり方は、短い目で見た場合は別だが、自分の方から結果を悪くするという報いを受ける。では何故科学はそうした礼儀正しい振る舞いを発展されることになったのか。別に科学者達が他の人達に較べて育ちが良いというわけではない。そうではなくて、思慮深く整然たる議論の方が、「ニガー」(黒人の蔑称)や「ファゴット」(同性愛者の蔑称)と叫ぶよりは、効果があるということである。
言うまでもなく、理に適った討論を簡単にぶち壊すことができるのは、それを外部から規制しようとする企てである。批判的議論が現実に瓦解したケース――ソ連、ナチス、アメリカのマッカーシズム、人種問題に関する今日の幾つかのアメリカの大学など――を思い浮かべれば分かるだろうが、その理由は、ある何らかの権力者が実力を持って社会を〈破壊的〉、〈転覆的〉、または〈抑圧的〉な言葉から守ろうと行動したことにあった。
おまけ
それではどうぞネットイナゴをご堪能下さい。■ガイア教の天使クジラ その1
最近IWCの総会があった関係でいくつか反捕鯨問題のニュースを見かける。痛いニュース(ノ∀`):“日本の怒り爆発!” 「国際捕鯨委員会(IWC)脱退も」 日本政府表明…新機関設立も
痛いニュース(ノ∀`):【捕鯨問題】「日本の対応は子どもじみたかんしゃく。母親は子供のかんしゃくを認識するものだ」…オーストラリア環境相
他にも探せばいくらでも出てくると思うが、議論はたぶん私が初めてこの問題に興味を持ちだした十年以上前からまったく変わっていないだろう。賛成派は「欧米白人キリスト教圏の文化帝国主義反対!」と叫び反対派は「水産庁の役人利権に利用される民族主義者キモイ! グローバルスタンダードに逆らって国益を損ねるな!」と叫ぶ。
LinuxとかperlとかFXとか - そんなにみんなクジラ食いたいんだろうか?
そんな中で上のページの人の「訳が判らない。」という素直な感想は貴重に見える。確かにこれはわからなくて当然と思う。私はおよそ主要な社会問題の中でこれほど理解の難しいものを他に知らない。
私が初めて反捕鯨問題に興味を持ち始めた頃に一番驚いたのは、過激な捕鯨反対派の著作の中に、単に「鯨は知能が高い」というだけでなく「鯨は人間よりも知能が高い」という意見がしばしば登場することだった。
それはもちろん反捕鯨派の主張としても主流というわけではなかったが、かといって少数の異常な例外として無視できるほどマイナーでもなかった。しかも彼らにとってそれはただの運動の口実などではなく、心の奥底からそれが真実であると(あるいはあって欲しいと)思っていることは確実だった。
これは私にとって直感にも理屈にも真っ向から反する不思議なことだった。確かに他の条件が同じならば、知能が高い動物の方が可愛いと感じることは人類にある程度普遍的な傾向と思われるので、捕鯨反対派が鯨の知能を高く見積もりたがるのは不思議ではない。しかし人間よりもとなるとまったく話は別だ。
人種差別の思想にとって「人間が最も頭の良い生物であること、そして白人がその他の人種より頭がよいということ、そしてそれが偶然ではなく必然であること」はまさに中心教義であり、そのことを真理として“証明”するために途方もない努力が傾けられてきた。
捕鯨反対運動と人種差別感情に強い結びつきが、少なくとも相関性があるのは明白に思えた。だがそうするといくら反捕鯨運動の主張としては都合がいいからといって、もう一方の中心教義を全否定してしまうような信念が、過激派にとりわけ好まれるなどということが本当にあり得るだろうか?
明らかに何かが間違っていた。例外は法則を試すというが、このことが納得できるようになった時には、私はこの世の何事かについて、何か重要なことを理解できるはずだと直感的に思った。しかし、その時はいくら頑張ってもそれ以上理解は進まなかった。私がこのことをやっと納得できるようになったのはずっと後になってからである。
それは反捕鯨問題とはまったく関係なしに、宗教や哲学の歴史を勉強している時に予想外の方向からやってきた。結論から言うと捕鯨反対運動は人種差別と結びついているわけではないし、宗教じみているのでもない。現在の反捕鯨運動の精神はかつて人種差別に科学的根拠を与えてきた自然神学の残党であり、宗教じみているのではなく最初から宗教そのものなのである。
もちろんいきなり言われてもなんのことかわからないだろうから、これから何度かに分けて説明していくけれども、冒頭の痛いニュースや、おそらく2ちゃんねる等で捕鯨反対派に対し強烈な反発を表明している人たちに、私から是非とも伝えたいメッセージが1つだけある。それは何も怖がる必要はないんだよってことだ。
反捕鯨運動は君らが恐れているようなここ二、三十年で急速に台頭し瞬く間に日本の伝統文化の1つを壊滅に追い込んだ恐るべき勢力……なんかじゃあない。逆だ。かつて社会の指導原理として人類総てに神の恩寵を与えていたもの、かつて地球を股に掛けて先住民をスポーツハンティングし、奴隷船を駆り、断種手術を指揮し、絶滅収容所を経営していたものの、もう見る影もない哀れな成れの果ての姿なのであって、恐怖に怯え「弱い者いじめはもうやめてくれ!」と叫んでいるのは実は君ら以上に彼らの方なんだってことだ。(つづく)
おまけ
そうそうやっぱくじらっつったらこれだよなあ。
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