■ひぐらしは斧で敵を殺していくゲーム?
すでに書く時期を逸した感があるが、斧とか鉈とかで高校生が人殺したとか殺さないとかでアニメひぐらしが放送自粛したとかしないとかいう話。(実はアニメひぐらしはまったく観てないので本当にどうなったかは知らないのだが)「ひぐらしは斧で敵を殺していくゲーム」とかTVで放送されて竜騎士さんがヘコんでたのは確かなようだけど、まあそれはひどい。うちのひぐロワと間違えてねえか? というジョークはおいといて、確かにひどい。
しかし、昔筒井康隆の断筆宣言に興味を持って表現の問題についていろいろ調べ、悪書追放運動に関して手塚治虫が受けたバッシングの話も思い出してしまう私の感覚から言って、現在はそんなに悲観すべき事態でも、大騒ぎすべき事態でもないと思う。
マスコミがこんな風に気軽に叩くことさえも、逆説的に言って、もはや単純なアニメ・コミック・ゲーム叩きなど誰も真面目には受け取らなくなったことの証明なのではないかと思える。血液型性格診断や星占いのようなものだ。
「アニメなんぞより報道の方を自粛しろよ!」という反発が起きる気持ちはわかる。なんと言っても報道が本当に似たような事件の連鎖を引き起こすことは、昔からかなり明らかな事なのだし(上の『影響力の武器』を参考文献にオススメ)。
しかし実際問題としては本当のことを言えばいいってもんでもないだろう。「山田部長(仮名)がケチなのはなんでだろうね?」という話題に対して「A型だからじゃないですかー?」と返せば「HAHAHA!!」で済みそうなのに対して、「浮気がばれて離婚したばっかで慰謝料と養育費で首がまわんないんじゃないですかー?」と言っちゃったら始末に困るのと似たようなものだ。
こういう問題に対して魔法のような解決策はない。全ての表現は本質的に挑発であり逆風に対して自粛しないことはそれ自体が一つの価値なのだ、という新しい道徳を少しずつ広めていくしかないだろうし、それは別に改めて言うまでもなく現実に進みつつあることだろう。
おまけ
今の「みんなのうた」にもいい曲あるんだなぁ。え? 違うの?■友人マリオの作者がゲーム専門学校に進学するんだとか
ニコニコ動画でかなりの人気を誇っている『自作の改造マリオを友人にプレイさせる』シリーズ。作者がスーパーマリオワールドを改造してとてつもない鬼畜難易度にしたコースを、その友人が必死に突破していく様子を見せるシリーズだ。その最新作のコメントで、作者がゲーム専門学校に行くことに決まったと言っている(ということは高校生だったのか)。ゲーム専門学校の悲惨な実態を描いた鈴木みその漫画(一時期ネットでもかなり話題になったのでググればたぶんどこかで読める)を読んだことがあるせいか、ちょっと不安ではあるが、この作者は間違いなく面白いゲームを作れるはずなので是非頑張って欲しいと思う。
なぜこの人が面白いゲームを作れると思うかというと、もちろんこの改造マリオが面白いから。なんでそんな当たり前のことをわざわざ書こうとしているかというとゲームデザインは非常に特殊なスキルで、それがあるかどうか見極めるの方法として、既存のゲームを改造してみるというのは非常に有効な手段だと思うから。
これが「そりゃそうだろ。当たり前じゃん」と思う人には特に何も言うことはない。「はぁ? たかが改造じゃん。それは誰でもできるだろ」と思った人にはそれはたぶん間違いだと言いたい。
ここでいう特殊は「他にそれに似たものがない」という意味で、稀少や貴重とは意味合いが違う。言葉で説明するなら人が探索して面白いような多数次元の可能性空間(たぶん正しい用語ではないが正しい用語がありそうな気もしないので気にしない)を何もないところから形作る仕事で、他にそれに似たものがまったく思いつかない。
(無理を承知であえて一番近いものを探せば……今考えてたどり着いた結論に自分で驚いた……立法者、つまり政治家や官僚の一部分である。これに関しては面白くなってきたので別のエントリにまとめるかも知れない。)
プログラミングの才能とは似たようなものと考えられているようだが、それはたぶん違う。たとえるなら「音楽家の才能」と「いい音がする楽器を作る才能」ぐらい違う。少なくとも手先は器用な方だというぐらいの共通点はあるかも知れないが、この2つの才能を似ているとか同じだとか考える人はいないと思う。
ゲーム制作が稀少なスキルかどうかは知らない。個人的には、そんなことはないと思う。子供が「横断歩道の白い部分以外を踏んだら死亡」とか「この石を家まで溝に落とさずに蹴って帰れたらオレ不老不死」とか考えるとき、すでにゲームを作っている。中学生が2ちゃんねるでIDや安価(レスアンカー)で遊ぶスレを立てるとき、やはりゲームを作っている。
しかし、現在ゲームを作って誰かにやらせようと思ったらまずプログラムする以外の方法はないため、本当はあまり関連のない2つの能力を同時に持っているものしかゲームを作ることができない。たとえで言えば、自分で作った楽器しか演奏することができない世界があったとする。そこでは「音楽の才能」は現実よりずっと稀少なものであるはずだ。ゲームを作る才能が稀少なように見えるとしたらこのような理由だろう。
おまけ
いや、おまけじゃない。これの話。■アムネスティがミャンマーの動画公開 ネット遮断、情報統制厳重
アムネスティがミャンマーの動画公開 ネット遮断、情報統制厳重最近こういうニュースや中国のネット検閲とかグーグル八分の話を見る度に、情報通信技術の進歩は一般に民主主義など自由体制の発達を促すと考えられているのは間違いなんじゃないかと思う。
確かに国の端から端から連絡するのに早馬で何週間もかかるのでは、まともな選挙を公布するのも実施するのも難しかろう。だから高度な自由体制の構築と維持にはある程度の情報通信技術が必要だということは言えそうだ。
しかし情報通信技術が必ずしも自由体制の発達をもたらすとは言えないのではないか。過去の歴史がそのように見えるのは、我々の多くが、情報通信技術が大幅に進歩する時期に、たまたま民主主義体制の国に住んでいたというだけのことにすぎず、情報通信技術の発達が本当にもたらす現象は、その時すでにある体制をますます安定させることではないのか。
現在の中国で不満を持つ人間が共産党の一党独裁を倒そうとする企ては、項羽や劉邦が始皇帝の独裁体制を倒そうとすることよりも簡単だろうか? タイムマシンで江戸時代にインターネットを持ち込んだら徳川幕府の存続期間は有意に縮まるか? どちらも、特にそんなことはなさそうだと思える。
『漂流教室』よろしく、現在の北朝鮮が別の地球に一国だけ独立して存在するようになったら、朝鮮労働党の独裁はいつまで続くだろう? 半永久的に、という答えがあってもおかしくはないと思う。(金一族の、ではない。個人は凶弾一発でも正月の餅を喉に詰めても死ぬのでそんなに安定ではない。)
私達はいま歴史の変曲点のごく近く(ちょうど通り過ぎたところだと思っている)にいて、このところ前後のわずかな期間に起きた、あるいは起きることは、歴史の他のどの時点で起きた、あるいは起きることに比べても、桁違いに重要な影響を及ぼしうる。
マンガチックに聞こえるかも知れないが、私達が現在こういった問題に対して取る態度の一つ一つが、500万年後の銀河系に存在するのが(SWや銀英伝的な意味で)銀河帝国であるか銀河共和国であるかの分かれ目であるというのも、実際にありうることなのだ。
おまけ
なにこのイカス(死語)アニメ! 本編観たい。ちょっと魔夜峰央っぽい。■ALINCO エクササイズボール EX-017 65cm
小野和俊のブログ:バランスボールで快適パソコンライフこのようなバランスボール(商標の事情だろうが、エクササイズボールとかヨガボールとかフィットネスボールとか呼び名が色々ありすぎてややこしい)をイス代わりに使うと快適で健康にいいという話。初めて聞いたときは「は?」と思ったが、落ち着いて考えるとそんなにおかしな話でもない。
うちの会社でも一人導入しているので少し貸してもらって試してみた。それで意外といけるかもと思い始めたので、まず自宅で試してみようと一個買った。まだ二日目だが、足を組んだり机に脚を投げ出したりといったいわゆる悪い姿勢が取れないようにするという効果は絶大である。貧乏揺すり風にポワンポワンと弾んでみるのも気持ちがよい。しばらく続けてみよう。
値段も1480円とお手頃だった。65cmという直系もイスとしてちょうどいいぐらいのようだ(私の身長は170cmちょうど)。もうちょっと高くできてもいいかもしれないが、高くするには上下に座布団でもおけばいいのだし、これ以上直系が大きくなると幅が大きくなってそれが邪魔に感じるようになる可能性がありそう。だから直系もこれぐらいがベストと思う。
おまけ
もうこれのブームも半年以上前なのだなあ……。■Victor [HP-RX500] インドア用密閉型ステレオヘッドホン
音楽はそこそこ好きなものの音質にはそれほどこだわらない方だ。しかも昔ヘッドホンが買った端から2, 3度連続ですぐに壊れた経験があり、ヘッドホンというもの全体に対する印象が悪かった。そのため長い間何かに付属していたイヤホンで済ませていたのだが、コードがもうちょっと長いものが欲しいという理由で買い換えたくなったので、この機会にヘッドホンも検討してみるかと思った。そこでニコニコ市場を見て一番人気のありそうなものに決めた。実際にはamazonで品切れだったので、近所の電気屋で買ってきたのだが。音質はまあヘッドホンならこんな感じかなというものだが、フィット感が抜群で驚いた。ヘッドホンを使っていない何年か(もしかしたら10年に近いかも)の間に音質よりもそういう周辺部分の技術が進歩したのだろうか。
おまけ
■デビルマン・寄生獣・ネウロに共通する進化論へのまともな理解 後編
(前回の続き)で、最後にネウロだ。最近出てきた新しいボスキャラ「シックス」の設定は、一見『オレが進化の頂点を極めた究極生物なのだッ!』的ないい加減な理解の代表に見える。が、実は定向進化を実体のあるものであるかのような言い方をしていることを除けば、原理的におかしいところは何もなかったりする。こんなまっとうな方法で進化した少年漫画のボスキャラというのは前代未聞ではないかと思われる。
もちろんかなり少年漫画的誇張を施されているので、厳密に言えばどこもおかしいのだがデビルマンや寄生獣の時と同様細かいことは気にしない。もっと詳しく書いている人がいるので、もうちょっと詳しく知りたい人はそちらをどうぞ。
全葡萄 - ネウロ、絶対悪についての生物学的考察
全葡萄 - 40号
ネアンデルタール人のくだりもまだ細部に学問的に決着していない部分はあるが、基本的な認識としては別に間違ってはいないし、特に種の区別というのは結局のところ中間型がすでに絶滅していることによってのみ意味を持っているという認識は極めてまともだ。
これはそう簡単な話でもないのに、普通にジャンプ漫画としての流れを止めずに読めるように収まっているのは、よく考えるとかなり驚異的である。そもそも漫画全体まで含めてもこの話題にちょっとでも触れた作品が今まであっただろうか。ここまででも特筆すべきことだと思う。
ここからは先の話になるが、上で紹介したリンクでも触れられているようにシックスが自分あるいは自分たちの血族を人類とは別種と見なすことには疑問がある。
これまでの情報を見る限り、血族全体がどこかに地理的に隔離されているわけでも、互いの存在を知っていて仲間内でしか交配しないようにしているわけでもないようである。このことから少なくとも一部は人類と交配可能ということになり、普通の定義を取るなら明らかに人類とは「まだ」同一種である。
「まだ」というのがポイント。もしシックス個人がすでに普通の人間と交配不可能なほど遺伝的に異なっており、血族を人類とは別種として確立したいと思っているならば(そう思わせるような描写はある)、シックスが殺さなければならないのは誰か?
人類ではない。血族以外の人類をいくら殺しても、単に人類という同種の個体数が減る以上のことにはならない。実はこの場合シックスが殺さなければならないのは自分以外の血族である。血族の中にいるはずの人類ともシックスとも交配可能な中間型が絶滅すれば、その時点で初めて、人類とシックスは互いに別種であると言っても間違いでなくなる。
この理屈からシリーズの終盤で「私が送り込んだ刺客を全て倒してくれてありがとう。おかげて私は完全に人類とは別種の存在として確立することができたよ」というような超鬼畜な展開が予想されるわけだ。(う〜む、なんて悪い奴!)
本当にこうなったら『オレが進化の頂点を極めた究極生物なのだッ!』キャラの進化論的にまともなバージョンと言えるだろうし、こんな手の込んだ伏線を張っているのならネウロもデビルマンや寄生獣に匹敵するとまでは行かなくとも歴史に残る傑作になれる可能性もあるだろう。
おまけ
ネウロファンには濃い人が多いようだ。MADが質・量ともに尋常でない。■デビルマン・寄生獣・ネウロに共通する進化論へのまともな理解 中編
(前回の続き)『寄生獣』はこのような文章から始まる。
地球上の誰かがふと思った
『人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか……』
地球上の誰かがふと思った
『人間の数が100分の1になったらたれ流される毒も100分の1になるだろうか……』
誰かが ふと思った『生物(みんな)の未来を守らねば…………………………』
これはガイア理論のかなりトンデモ寄りな解釈(地球には超科学的な生命調整機能がある)を直接連想させるもので、実際にそこに着想を得ているとしか考えられない。しかし、単行本の最終巻に収録されている作者の文章(長いので補足としてエントリ末尾に抜粋する)に述べられているように連載中に作者の思想は大きく変わっていき、後藤にとどめを刺す前のミギーのセリフに結実する。
わたしは恥ずかしげもなく「地球のために」という人間がきらいだ……なぜなら地球ははじめから泣きも笑いもしないからな
何しろ地球で最初の生命体は煮えた硫化水素の中で生まれたんだそうだ
作者の思想的成長が作品のカタルシスに上手く繋がったよいお手本だ。(同様の事例でこれに比肩しうるのは『風の谷のナウシカ』ぐらいだろう。)
しかし、この変化における前後の落差はまさに天地の開きと呼ぶにふさわしいもので、「同じことをいう人間が増えたから」という天の邪鬼精神のみで説明するには無理がある。天の邪鬼精神はきっかけだったのかも知れないが、実際にその変化をもたらし行き着く先を決めたのはやはり進化論に関する知識であったように思われる。
寄生獣で進化論に直接触れている箇所は、田村玲子が大学で利己的遺伝子に関する講義を聴講している場面しかないが、その影響は他の場面にも及んでいる。先の「最初の生命は煮えた硫化水素の中で生まれた〜」というセリフも当時最新の話題を踏まえているし、何より最終話に出てくる、とても人気のあるミギーのセリフもそうである。
心に余裕(ヒマ)がある生物 なんとすばらしい!!
これは何となく格好よく聞こえる台詞を作っただけだろうと思えないこともないが、田村玲子の精神が人間の域に達したことの象徴に「笑い」と「自殺」を選んでいること等を考え合わせると、やはり単なる偶然ではありえない。
人間の特有の高度な知能・精神的能力の進化は必ずしも(少なくとも従来考えられていたような意味では)必要なものでも、必然的なものでもなかった
というまっとうな理解を踏まえて考え出されたものである。(つづく)
補足
寄生獣の物語は開始から終了まで、まずもって計画どおり……と言いたいところだがそうでもない。
物語終了の予定が、わずか三回にして終わるところから、単行本にして三冊分、いや五冊、七巻で終わり、いやいや九巻……で結局十巻まで延長を重ねたことがまず一つ。
そしてストーリー内容にも当初の予定から変更したことがいくつかある。その代表的なものが、最強の敵「後藤」の最期の場面だ。
寄生獣の開始・第一話を書いた頃、世間は現在ほどエコロジー流行りではなく、環境問題についてもさほど騒がれてはいなかった。つまり「愚かな人間どもよ」と言う人間がめったやたらにはいなかったのだ。だから第一話の冒頭では人類の文明に対する警鐘という雰囲気で、すんなり始められたのだが、世の大多数の人々が同じようなことを言い始めてくると、今度は妙な気になってくる。人と同じことを作品内で復唱するのが何やら気恥ずかしいのだ。単なるあまのじゃくかもしれないが、ともかく次には「愚かな人間どもよ」と人間が言うなよ、と言いたくなってくる。
そこで「後藤」の最期の話に戻るが、初め「後藤」は死ぬ予定ではなかった。復活し始めた「後藤」を残し、新一はあのままスタスタ帰ってしまうのである。「後藤」のその後については二案あった。一つは完全復活したものの、汚染された日本を嫌い、巨大な翼に変形して美しい自然をめざし飛び去ってゆく、という案。もう一つは完全に復活できず、人間に無害の別の生き物として山の中でひっそり生き続ける、という話だ。どちらも甘ったるい。そしてどこか無責任である。しかし破壊・汚染の元凶たる「愚かな人間ども」に対する「美しき野生」「偉大なる大自然」の代表選手である「後藤」が、ただ滅ぼされてしまって良いのだろうか、という思いがずっとあった。
だが、ひねくれ者の私の周囲で多くの人々が「愚かな人間どもよ」を合唱してくれたおかげで、もう少し先へと考えを進めることができたような気がする。
かくして第一話の冒頭の言葉は、人間のある種の代表である広川市長が引き継いでくれ、主人公はクライマックスで振り返り、戻ってきて自らの手を汚す、ということになった。私のひねくれ根性から始まったことではあるが、結果的には当初より内容が良くなったと自負しております。
おまけ
■デビルマン・寄生獣・ネウロに共通する進化論へのまともな理解 前編
現在少年ジャンプでほぼ唯一と言っていいぐらい着目している『魔人探偵脳噛ネウロ』であるが、最近の展開は単に面白いというのとは違う意味でちょっと興味がある。私が以前から持っている作業仮説を検証できる機会だからだ。それは以下のようなものである。進化についてのまともな理解にヒントを得ているマンガは奇跡的な傑作になる可能性が高い
少年漫画で進化について触れられる場合『オレが進化の頂点を極めた究極生物なのだッ!』とか『○○計画によって人類は新たな段階へと進化を遂げるのだ!』とか『おめでとう□□は△△にしんかした!』とか大抵ロクなもんではない(面白いかどうかは別の問題)。
そういう状況が厳然として存在する中に、進化に対するまともな理解を示した(少なくともそう見える)顕著な例外が二作品だけある。『デビルマン』と『寄生獣』である。いずれも言わずと知れた超傑作である。
ちょっと待てと言われそうだ。いや、言ってもらわなければ困る。「本当に神がいて特定の種族(デーモン)を滅ぼしたりしようとする『デビルマン』の世界でまともな進化の理解もクソもあるか!」と。確かにその通りだ。しかしもう少し待って欲しい。
デビルマンの世界設定では、人間が地球を我が物顔に支配しているのは、恐竜時代に神の軍団に滅ぼされそうになったデーモン族が必死の抵抗で勝利し、疲弊して眠りについている隙を上手くついたというだけのことに過ぎない。
生物進化が隕石衝突等の偶然の災害に強く左右されることがすでに当たり前になっている今日の視点では特になんてことはないように感じるが、漫画版デビルマンの連載は1972年から1973年にかけてである。
これはK-T境界が知られるよりも前であり「図体ばかりでかくて冷血で脳が小さく愚鈍な恐竜は、温血ですばしこくて賢い哺乳類の祖先に卵を食われてしまったのだ」等の、今日の視点で見ればアホなとしか言えないような説明も、まだ普通に通用していた時代だ。時代を考慮に入れるとこの設定はかなり先見的である。予見的とさえ言える。
もちろん永井豪がこのようなことを意識して設定を考えたと言っているわけではない。ほとんどは偶然によるものと思われる。それでも、当時としては珍しく進化上の人間の地位に対する自己中心的な偏見を持っていなかったということは言えよう。私にはそれだけでも特筆すべきことであると感じられる。(つづく)
おまけ
■宇宙のランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す
『エレガントな宇宙』以来の超弦理論本。なかなかよかった。おすすめです。
生命はごく最近まで歴史上常に、あり得ない驚異であり究極の神秘と思われてきた。科学の進歩とともに今日では生命もその誕生も特に不思議とは思われなくなってしまったが、それでも驚異はステージを一つ繰り上がって保存されている。
「では、なぜそもそも宇宙の物理法則が生命という化学的特性をそれほど不思議ではなくするようなものになっているのか?」が昔考えられていた生命誕生と同じくらい、あるいはそれ以上にあり得ない驚異で奇跡であるように見えて来たわけだ。というのも、宇宙の物理的特性には様々な可能性があるように見え、そのうち生命現象が可能である確率は非常に少ないことを示唆する知見が徐々に揃ってきているからだ。
これには従来とは違った種類の説明が必要とされる。「わからん。ドラゴンボールで説明してくれ」とかいう声が脳内に聞こえてきたので、それに従う。
宇宙のどこかにある惑星ベジータのカカロットさんは、特に働きもせずにゴロゴロしているだけにしか見えないのに突然大富豪になったように見える。
あなたが宇宙のどこにあるかもわからない星の人間が金持ちだろうが貧乏だろうが構わないじゃないかという広い心の持ち主でないのなら(少なくとも私はそうではない)、カカロットさんが何故金持ちになったか知りたいと思うだろう。
可能な説明には幾つかのパターンがあり得る。
- 1.神が空からお金を降らせた
- たぶんアクマイト光線をくらっても大丈夫なほど善良な心を持つカカロットさんに感心したんだろう。
- 2.地球人が惑星ベジータについて無知なだけでよく調べれば不思議でもなんでもなく必然だということがわかる。
- 私達はまだ知らないが、本当はたとえば「惑星ベジータは太陽に対して細長い楕円軌道を描いて回っている星で、太陽から離れる“冬”には星全体がいわば冬眠状態になり全ての経済活動が停止寸前の状態になっている。そして夏が来たのはついさっきだ。」というような、複雑かもしれないが、ただ一つの論理的でまっとうな答えがある。だからカカロットさんが突然金持ちになったように見えるのは、そしてそのことに特別な説明が必要に見えるのは、単に我々地球人の無知に基づく錯覚に過ぎない。
- 3.カカロットさんは年末ジャンボ宝くじに当たった。
- 莫大な枚数が発行されている宝くじは誰かには当たるものなので、惑星ベジータの誰かが大金持ちになるのは当然で何も不思議ではない。当たったのがカカロットさんなのも単なる偶然であり、やはり特別な説明はいらない。というのは、仮に当たったのがカカロットさんではなくラディッツさんだったら、私達はラディッツさんについて同じ話をしていたであろうから。
さあどうだろう。
(1)を選ぶ人はいまい。(もっともドラゴンボールの世界なら神はいるわけだが。)
(2)はどうか? 惑星ベジータを見に行くことができるなら、想定したような事情が存在するかどうかはわかるだろう。見に行って想定した事情が見つからない場合はどう考えるべきか? この説明法は捨てるべきか? それとも私達の想像力が、見ただけではわからないような真の事情を見落としていると考えてさらに調査を続けるべきなのか? そもそも惑星ベジータを見に行くことができない場合はどうか?
(3)はもちろん正しい。当たり前のことしか言っていないからだ。ただし、それはもちろん惑星ベジータで年末ジャンボ宝くじが行われていればの話。
この本が言わんとしているのは、
最新の考察によれば(2)のパターンにはもうほとんど望みがなく、しかも『惑星ベジータ年末ジャンボ宝くじ』が実在すると考えられるようになってきたのでカカロットさんの大富豪化は(3)のパターンに沿って説明されるべきだ
ということ。
実際は、
- 惑星ベジータ → ありうる宇宙の物理法則の全て(筆者はランドスケープと呼んでいる)
- カカロット → この宇宙
- 大富豪 → 複雑な生命を可能にするような物理法則
とでも置き換えてもらえればよろしい。あまりドラゴンボールである必然性はなかったかも知れないが、宇宙定数がどうとかインフレーションとか言うよりは議論の概略が掴みやすいのではないかと思うのだが……。
草思社 (2001/12)
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おまけ
■スティーブン・ジェイ・グールドのエッセイ中で一番好きな部分
紙を整理していたら昔メモったものが出てきた。収録の本がどれだったか思い出せないがジョー・ディマジオの連続安打の話の最後の部分であるのはほぼ間違いない。何かで言及する機会がありそうだからここに書き写しておこう。ある生物種の歴史や、混沌とした世界で途切れずに続いてゆくことが必要なあらゆる自然の現象は安打の連続記録のように進んでいる。全ては限られた賭金で無限の資産を持つ親に立ち向かうギャンブラーの賭なのである。このギャンブラーは結局は破産してしまう。彼の目的はただ、できる限り長くその場にいて、そこにいる間くらいは楽しく過ごすことであり、もしその上、偶然にも道徳の行使者となったなら、威厳をもって最後まで頑張ろうと努力することなのである。
おまけ
いつぞやのボーカロイドの続編がえらい大人気らしい。■ヤモリの指―生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー
そでの宣伝文より抜粋。吸盤もないのに壁や天井に張りついて楽々と歩くヤモリ、泥の中でも汚れ知らずのハスの葉、色素もないのに鮮やかな青に輝くモルフォ蝶……これらの、生き物が発揮する「離れ業」はどういう仕組みなのかという謎が、ナノテクや超高解像度顕微鏡、遺伝子組み換えなどの最先端技術で解き明かされたとき、人はその巧みさに驚き、魅了された。しかし人はそこに留まらず、いつしかそれらの秘密を科学技術で再現し、さらに乗り越える試みを始めた。生き物の能力にインスパイアされ、それを乗り越えるこの研究は、バイオ・インスピレーションと呼ばれる。いわば、現代科学に開かれた、最後のフロンティアである。卒論・修論のテーマが生物分子モーターだったのでこの分野にはちょっとだけ縁がある。モルフォ蝶やタマムシの翅、ヤモリの足、蜘蛛の巣、ハスの葉、だれもが見たことのあるはずの身近なものに隠れている新境地。
すでに古い話も多い気もするが、ルクレティウス、ダーシー・トムソン、ファインマンにたびたび言及する辺りよくわかってる感じ。ポピュラーサイエンスとして普通におすすめ。関連書籍として思い出した下の本もかなりおすすめ。
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新手の生物兵器かっ!?■星新一『ある戦い』
太陽系外からの突然の侵略軍に敗北寸前の地球。敵ミサイルの攻撃になすすべもない司令官と部下たちの部屋に、長く地面に埋まっていたとおぼしき古びた金属筒入りの古文書が飛び込んできた。「……勝つか負けるかの場合には、体当たりの精神以外に、勝利への道はない。爆弾もろとも敵にぶつかる。一機をもって一艦を葬るのである……」司令官は直ちに命令を下し、争って志願した部下たちは見事形勢を逆転させ侵略軍を全滅させた。
「それにしても、なんで、あんな簡単な方法に気がつかなかったのだろう。もっと早く知りさえしていれば、損害が少なくてすんだのに」アルファルファモザイクより「特攻は素晴らしい戦術だったのか?」
「それは仕方ないよ。どの図書館にも、あの戦法を記した本が残っていなかったのだから。あるいは、過去のある時期に思想統制が行われ、全て抹消されたのかもしれない」
「いずれにせよ。あのタイムカプセルが出現してくれて助かった。おかげで、貴重なる地球の文明を、守り抜くことができたのだから。どんな祖先が、あの文章を書いたのだろうか。今では知りようがないが、きっと、思想統制に反抗した、自由主義者だったのだろうな」
勝利をおさめたとはいうものの、地上の破壊も凄まじかった。まず、方々に倒れている戦友たちを収容しなければならない。これは、あまり楽な仕事ではないのだ。油まみれになってもげている首や手足を拾い、腹からこぼれている歯車、ネジ、電線、それに細かな電子部品などを集めて回らなければならないのだから。
を見て思い出した話。2ちゃんすんなとは言わんけど星新一ぐらい目を通してからにしようぜ、と。ああそれにしても返す返すも見事な二段落ちよ。
おまけ
■「馬鹿の一つ覚え」という言葉が好きだ
■「ビルゲイツの面接」という検索ワードによるアクセスが激増中
Googleの中の人は世界中の人々がググるたびに検索窓に打ち込むワードを自由にのぞき見ることができる。その情報が何に利用できる(あるいはされる)かということについてはすでに様々な考察がなされている。私は利用価値がどうあれ、中の人は面白くて仕方がないだろうと思う。自分のサイトのアクセス解析でリファラを見ることは合法的にそれのミニチュア版を実行できることに他ならない。たまになかなか面白いものが引っかかってくるので、何日かに一度は見ているのだが今日のリファラが写真のような状態になっていた。「ビルゲイツの面接」という昨日までなかった検索ワードが突出している。『ビルゲイツの面接試験』の「試験」が省略されたものと思われる。
これは一体どういうことかいなと思って自分でもググってみる。するとこの階段クイズのエントリがトップに来ている。二番目が会長の下のエントリである。
Life is beautiful: ビル・ゲイツの面接試験−私の場合
はて? Googleでトップに来るならそれなりのアクセスがあるのは不思議ではない。本がテレビか大手サイトで取り上げられたのだろう。しかしそもそもこの階段クイズが上位に来るのはLife is beautifulからのリンク(別のエントリだが)によるところが大きいはずだ。どうしてこんな順序になることがあり得るのだろうか。
試してみると「ビルゲイツの面接試験」という省略しない検索ワードだと逆の(直感的に正しいと思われる)順序になる。他にいくつか試してみた限りでは「・」の有無の影響ではないようだし、いまいち納得のいく説明が思いつかない。謎だ。
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■『風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫』がWiiで発売決定
【2ch】日刊スレッドガイド : 不思議のダンジョンシリーズ最新作『風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫』がWiiで発売決定!来てしまったか! DS版が楽しめなかったのでちょっと警戒感はあるが、せっかくWii持ってるんだからやらないわけにもいくまいな。
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SFC版。ここまでやりこめるゲームは稀少。■瀬島龍三氏が死去=伊藤忠元会長、政財界「参謀」で活躍
Yahoo!ニュース - 時事通信 - 瀬島龍三氏が死去=伊藤忠元会長、政財界「参謀」で活躍瀬島龍三は「大日本帝国はスゴかったんだぜ!」という種類の意識によって過大評価されている部分は絶対にあるだろうが、それを差し引いてもすごい人物であったろう。昔この『大東亜戦争の実相』という本を読んで面白かった記憶があることからわかる。モロ利害関係者の証言だということを忘れずに読める人にはおすすめする。
おまけ
■『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE』オススメ度 8/10
この世代としては珍しいのかも知れないが、私はエヴァンゲリオンには全然特別な思い入れがない。流行っているのはもちろん知っていたが、本放送時はそもそも見ていなかった。以前書いたように基本的にマンガは読んでもアニメは全く観ない人間だった。その後も、いかにも「Wikipediaで仕入れてきました!」みたいな(もちろん当時Wikipediaはなかったのであくまで「みたいな」)浅薄な似非ユダヤ・キリスト教趣味と、むやみに謎とか言って引っ張る商魂たくましさ(ただしこれに関しては今考えるとひぐらしやデスノートと比べてそんなに悪質ってわけじゃないような)が何となく嫌だったのでなかなか観る気にならなかった。
YouTube時代に入ってから「やっぱりいろんなギャグの元ネタになってたりするし一応観ておくべきだよね」という消極的な信念の元でバックグラウンドで何となく流していたりしたので、今では一応テレビシリーズも映画も一通り観てはいる(はず)。
……という程度の背景知識の人間の感想としては普通に面白かった。どこが変わったとか言える程の知識はないが、技術的にいろいろとグレードアップしてるのはよくわかる。前半はダイジェスト風でちょっと退屈だったけど、後半はむかーしむかし『未来警察ウラシマン』で見たような覚えがある(あるんだけど歳が小さかったので自信がない。錯覚かも)八面体のレーザー使途(ラミエル?)の凄まじいパワーアップぶりに燃えーという感じ。
昔のエヴァを全く観たことがないという人(さすがに端折りすぎでついて行けないと思う)以外には文句なくおすすめです。
おまけ
ここを読みに来るような人には余計なお世話だと思うが一応。■まなめさんのマックカフェオフに参加してきました
■ゲイが大会新で2冠!
Yahoo!ニュース - スポーツ報知 - ゲイが大会新で2冠!…男子二百メートル決勝【世陸】というニュースタイトルを見かけて思わずギョッとしてしまったわけだ(レイザーラモンHGがトラックを全力疾走している画が脳裏に浮かぶのは私だけではない……と思う)。
いつだったかNHK衛星第一をなんともなしにつけていたらいきなり「エタ撲滅のための市民集会が開かれました」というアナウンスが耳に飛び込んできて思わず自分の正気を疑ったことがあるが、それに次ぐぐらいの衝撃度だった(ちなみにスペインのETA = Euskadi Ta Askatasuna = バスク祖国と自由)。
これだけだと単なるネタみたいだが、私はこういう音韻上の誰にも予測できない偶然の一致(あるいは不一致)がどういう影響をもたらしうるかということには結構真面目に興味があったりする。機会があれば何か書いてみたい。





