沸騰都市 第1回 ドバイ 砂漠にわき出た巨大マネー

(画像はWikipediaより)

 久々に見たテレビ番組。これは面白かった。ブルジュ・ドバイの凄まじさは聞きしにまさるな。いつかバブルが弾ける時が来ると思うと怖くもあるが。

NHKスペシャル|沸騰都市 第1回 ドバイ 砂漠にわき出た巨大マネー

今から30年前、地球上に人口1000万を超える都市は、東京、ニューヨーク、メキシコシティの3都市だけだった。いま、その数は20となった。上海、サンパウロ、ダッカ、イスタンブール…。ほとんどは、新興国の都市だ。20都市だけで世界のGDPの半分を占める。国連人口白書は今年、「都市の世紀の幕開け」を宣言した。

煮えたぎる都市の地殻変動を描くシリーズ「沸騰都市」。第1回はドバイを取り上げる。
世界最大の空港、世界最大の人工島、怒涛のようにオイルマネーが降り注ぎ、それを元手にあらゆる分野で世界一を目指す中東ドバイ。極めつけは、高さ800メートル、160階建て、世界最高の高さを誇る超高層ビル・ブルジュドバイ。2009年中の完成を目指して、今建設が24時間体制で進んでいる。ドバイ政府は、ブルジュドバイをピラミッド以来のアラブ社会の権威の象徴と位置づけている。

世界の建設現場からクレーンを根こそぎ奪い、バングラデシュやパキスタンから母国の数倍の給料で労働者をかき集めるドバイ。世界が不況に苦しむ中、ドバイに群がる人々の欲望の物語を描く。

おまけ

 都市繋がり。

1・2・3・4・たくさん

Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム

 もう何年も前の話だが『Mind Hacks』という本で“サビタイジング”という効果のことを知って、どうして歴代FFの戦闘画面のうちFF4のものだけがこんなにも見づらいのか? という長年の疑問に決着がついた気がした。

(FF4:6分過ぎから戦闘シーン)

(FF5:1分半から戦闘シーン)

 最初に思いつく説明は単純に縦にキャラが5人・ステータス画面5行が並ぶのは多すぎるからというものだが、FF5やFF6でも4人(4行)はいるのに、その戦闘画面は全然見づらくない。この差は数1つの違いだけでは到底説明がつかないと思っていた。しかし、

 サビタイジングの際、脳では、普通に数を数える場合と全く異なった処理が行われているように思える。いくつかの実験により、数える物が4つまでの場合は、1つあたり40〜80ミリ秒で数えられるのに対し、それを超えると、必要な時間は1つあたり250〜350ミリ秒に増えるということがわかっている。

(中略)

 サビタイジングの場合は、意識して注意を向けるというようなことは必要ない。視点を物から物へ移すこともない。(中略)そのため、研究者の中には、「サビタイジングは動作ではなく、視覚信号処理の副作用である」などと主張する人もいる。

『Mind Hacks』P134-135ページ

 というわけなので、実際に起こっているのはおそらくこういうことだろう。

  • プレイヤーが視線を移動させる。
  • 脳はそこにキャラが何人いるか・コマンドやメッセージが何行あるかを、無意識的に把握しようとする
    • 4人・4行の場合、無意識のまま約240ミリ秒で数え終わる
    • 5人・5行の場合、一瞬意識を持って行かれ、約540ミリ秒で数え終わる
  • 次の行動に移る

 戦闘中画面においてプレイヤーは、コマンドを入力し(下)・アニメーションを見(上)・ステータスを確認する(下)、といった具合に頻繁に視線を移動する必要がある。その度に一瞬数えることに意識を持って行かれて、約300ミリ秒を無駄にさせられることの積み重ねが「見づらい」という印象となって現れるのだろう。

 要するに4人(4行)と5人(5行)の間には実際に越えがたい差があり、5という数は多すぎるという最初の説明以上のものは必要なかったという結論になる。だからなんだというほどのものでもないが、もしかしたら誰の役に立たないとも限らないので書いておく。

おまけ

 年代的にヒャダイン氏の作品はいつもツボに入ります。

ニコニコ座談会レポート

metagold080518

 はてなニコニコ部kausinaさんのお誘いで、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジのニコニコ動画研究プロジェクトのフィールドワークである。ニコニコ座談会に参加させていただきました。研究の役に立てたかわかりませんが、非常に楽しかったです。印象に残っている部分をまとめます。(※会話はイメージです。)

参加者

 私含め6名。

自己紹介

 すぐに話が広がるので全員の自己紹介だけで45分かかってしまう。

  • 「好きなタグ」は【現代医学の敗北】*1、「好きなアイマスキャラ」は閣下と答える。
  • 「視聴形態」はニコニコPodderを使って電車で見ることが多い。面白そうなら後で改めてPCで見る。
  • 「使用ブラウザ」私だけDonut系。私以外全員Firefox。う〜む、取り残されてる。
  • 「何を見て何をうpしてるか」東方・アイマス・VOCALOID・アニメ・ゲーム・歴史・科学まで節操なしに面白そうなら何でも見るが、一番ニコニコらしくて好きなのはゲーム動画。うpはしてないがもしするならレゲー・フリーゲーム関係か。

メタデータがコンテンツになりコンテンツがメタデータになる

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

  • ニコニコが最もニコニコらしく面白いのは、ボブとか空気読み芸が鮮やかに決まっているやつだね。
  • “kuuki”という概念は日本独特で、英語に翻訳しようがねーよw
  • ガチムチ兄貴なんか最初は上げ荒らしだったのにみんないつの間にか目ざめてキャラとして定着しちゃった。
  • うざがられるも受け入れられるも空気次第?
  • アスキーアートがコメントアートに。
  • 英語のAAは絶滅状態。どうしてもascii文字しか使えませんからね。
  • 日本のはアスキーアートというよりユニコードアートだよね。
  • やはり全体として2ちゃん文化の引き継ぎは大きい。
  • コメントが盛り上がってるところに自動でジャンプできるGreasemonkeyスクリプトとかどうよ?
  • それなんて強制ネタバレの刑?
  • ようつべなんかではハイライトだけ見たいという需要がわりとあるよ。
  • ニコニコだとオチに至る過程が重視されてたりしますからね。

コメントよりタグの方が面白いかもしれない

  • ニコニコのタグシステムは集合知を実現するためにすごくよく考えられている。
  • 10個しかない。ロックシステムで作者名・カテゴリ・ジャンルなどは保護。
  • 残りをリンク・ネタ(タグ把握www)・ガイドその他諸々が淘汰しあう。
  • 視聴者がつけたうp主をいじるネタタグをわざとロックして笑いを取るというような使い方もある。
  • ようつべではスペースが完全に単語区切りでたとえばGeorge BushタグをつけたくてもGergeタグとBushタグになってしまう。
  • 確かにそれは損してるかもしれない。偶然だろうけど日本語が有利だった点か。
  • 新しいタグが誕生して定着した瞬間をみたことがあります?
  • あんまりないかも。印象に残っているのは【さだまさし】*2ぐらいかな。友人マリオの削除は残念。

もやし炒めときしめええええええええええええええん!

 同じビルの居酒屋に移動して二次会。迷わず注文するもの(写真)がもうすでにニコ中すぐる。

オタクイズデッド

その数学が戦略を決める

 有村さんのオタクインターネット史講義をkausinaさんと聞きながら話をする形になった。面白かったのはこのあたり、

  • ネットによってストックよりフローというか、スピード・瞬発力が大事になってる。
  • アイマスMADでもジェバンニなPが注目と賞賛を集めますね。
  • 個人の経験・知識の蓄積という意味では、もうGoogle先生にかなう人は誰もいないわけで。
  • 人間データベースであるところのオタクの価値はなくなってきてる。

 もちろん継続によって得られるものも大きい。信頼と安心のわかむらブランドとか、毎週金曜夕方にきっちりUPされて人気を得た桃月Pのランキングのように。

*1:【作者は病気】【作者は手遅れ】シリーズの最上級として機能しているタグ。
*2:歌手ではなくマリオワールドの空耳の方。最近の改造マリオ大量削除のため確認できず。

おまけ

公理の話

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

数学に関する質問です。なぜ一度正しいと証明された定理が覆されることがないのか? ということが理解できません。 「あらゆる科学理論は本質的には仮説であって真理ではあ.. - 人力検索はてな

へのはてなブックマークに対して、

では、公理そのものの妥当性は何がどう担保しているわけですか? - BLOG15の日記

では聞きますが数学の演繹の出発点の公理系そのものの妥当性、正当性は何によってどう担保されているのでしょうか? 本質的に間主観性としての、つまり主観の寄せ集めの仮決めでしかないと思いますが。

 という質問が来たので、ちょうどいい機会だから公理について書いてみる。もともとの質問への回答でだいたい言い尽くされているような気もするが。

 数学の演繹の出発点の公理系そのものの妥当性、正当性は何によってどう担保されているのでしょうか?

 何によってもどうやっても担保されてなどいません。妥当性を担保されているものは公理ではありません。定理です。定理の妥当性を担保するのは公理です。で、じゃあ公理って何なんだということになるわけですが、

 本質的に間主観性としての、つまり主観の寄せ集めの仮決めでしかないと思いますが。

 その通りです。公理っていうのは主観であろうが何であろうが根拠のない仮決めなのです。もし根拠があったらそれは公理ではなく定理で、その根拠の方が公理です。

 なんでそうなのかというと、もし公理に根拠がなければいけないとすると、その根拠の根拠はなんだ? という疑問がただちに生じて、根拠の根拠の根拠の……(∞)……という無限退行に陥って、いつまで経っても何も言えなくなります。

 それでは何も面白くないので、根拠なしにある一連のことを勝手に正しいと決めて「公理」と呼ぶことに決めるのです。以降は仮想問答。

 勝手に正しいと決めるって……それでいいの?

 それでいいんです。

 だって勝手に決めたらそれが妥当かどうかわからないじゃん。

 と思うでしょうけど、公理には妥当も不当もありません(自己矛盾している場合以外)。たとえば「全ての数は0に等しい」というような公理を持つ公理系を作ることは可能です。その公理系が“普通の”数学の公理系に比べてどっちが妥当だとか妥当でないとかいうことはありません。

 んなアホな。どんな公理も等しく妥当だっていうならどれも無意味って事になるじゃん。

 そうじゃありません。公理系の価値は、そこから導きうる様々な定理や結論が豊かで興味深いかどうか、あるいは現実に応用可能か、平たく言えば面白いかどうかで決まります。「全ての数は0に等しい」というような公理系は何もかもが自明で面白くないから誰も研究しないし話題にしないだけのことです。

 要するに公理はゲームのルールみたいなものです。「オセロはどうして自分の色が多いと勝ちなの?」という問いは馬鹿げてます。「作者がルールをそう決めたから。」以上の答えはありません。

 「色の少ない方が勝ち。」とか「コマを指ではじいて回転させ、倒れたときに上になっている色を言い当てた方の勝ち。」とかいうルールを勝手に決めても別に悪いことはありません。そのルールが元のルールと比べて妥当であるとか妥当でないとか決める絶対の基準が宇宙のどこかにあるわけではありません。単にそれはオセロではなく、たぶんそんなに面白くないというだけのことです。

おまけ

『ミスト』オススメ度9/10

ミスト

 これは予想外! 「さてちょっと“いかにもB級”って感じのおバカ映画でも観に行くか」と思ってたら裏切られました。スティーブン・キングのこの系統の映画化は、これまでひどいのばかりだったのですごく意外です。モダンホラー有数の傑作になったかもしれません。

 宣伝と違って衝撃とかすごい謎とかいう類のものではないですが、ネタバレすると魅力がかなり薄れるのは確かだと思うので掲示板や読者レビューのサイトは見ない方がいいかも。一つだけ注意としてはホラーなのでそれなりにグロいシーンもあります。グロ耐性ない方以外には自信を持ってお薦め。

おまけ

 モダンホラーと言えばゾンビ(ポップなドット絵とはいえかなりのグロ。注意!)。

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