■公理の話
数学に関する質問です。なぜ一度正しいと証明された定理が覆されることがないのか? ということが理解できません。 「あらゆる科学理論は本質的には仮説であって真理ではあ.. - 人力検索はてな
へのはてなブックマークに対して、
では、公理そのものの妥当性は何がどう担保しているわけですか? - BLOG15の日記
では聞きますが数学の演繹の出発点の公理系そのものの妥当性、正当性は何によってどう担保されているのでしょうか? 本質的に間主観性としての、つまり主観の寄せ集めの仮決めでしかないと思いますが。
という質問が来たので、ちょうどいい機会だから公理について書いてみる。もともとの質問への回答でだいたい言い尽くされているような気もするが。
数学の演繹の出発点の公理系そのものの妥当性、正当性は何によってどう担保されているのでしょうか?
何によってもどうやっても担保されてなどいません。妥当性を担保されているものは公理ではありません。定理です。定理の妥当性を担保するのは公理です。で、じゃあ公理って何なんだということになるわけですが、
本質的に間主観性としての、つまり主観の寄せ集めの仮決めでしかないと思いますが。
その通りです。公理っていうのは主観であろうが何であろうが根拠のない仮決めなのです。もし根拠があったらそれは公理ではなく定理で、その根拠の方が公理です。
なんでそうなのかというと、もし公理に根拠がなければいけないとすると、その根拠の根拠はなんだ? という疑問がただちに生じて、根拠の根拠の根拠の……(∞)……という無限退行に陥って、いつまで経っても何も言えなくなります。
それでは何も面白くないので、根拠なしにある一連のことを勝手に正しいと決めて「公理」と呼ぶことに決めるのです。以降は仮想問答。
勝手に正しいと決めるって……それでいいの?
それでいいんです。
だって勝手に決めたらそれが妥当かどうかわからないじゃん。
と思うでしょうけど、公理には妥当も不当もありません(自己矛盾している場合以外)。たとえば「全ての数は0に等しい」というような公理を持つ公理系を作ることは可能です。その公理系が“普通の”数学の公理系に比べてどっちが妥当だとか妥当でないとかいうことはありません。
んなアホな。どんな公理も等しく妥当だっていうならどれも無意味って事になるじゃん。
そうじゃありません。公理系の価値は、そこから導きうる様々な定理や結論が豊かで興味深いかどうか、あるいは現実に応用可能か、平たく言えば面白いかどうかで決まります。「全ての数は0に等しい」というような公理系は何もかもが自明で面白くないから誰も研究しないし話題にしないだけのことです。
要するに公理はゲームのルールみたいなものです。「オセロはどうして自分の色が多いと勝ちなの?」という問いは馬鹿げてます。「作者がルールをそう決めたから。」以上の答えはありません。
「色の少ない方が勝ち。」とか「コマを指ではじいて回転させ、倒れたときに上になっている色を言い当てた方の勝ち。」とかいうルールを勝手に決めても別に悪いことはありません。そのルールが元のルールと比べて妥当であるとか妥当でないとか決める絶対の基準が宇宙のどこかにあるわけではありません。単にそれはオセロではなく、たぶんそんなに面白くないというだけのことです。
おまけ

木戸孝紀
